SHOMONA

サッカー/ギター/歴史/和食/iPad/飲酒

忘れられない年

年の瀬といえば普通はもっとその年を名残惜しく感じているような気がするけど、今年ばかりは大げさに振り返ったりすることなく、平穏無事であることを最善の妥協点として暮らしている、ような気がしている。

 


自分といえば、今年は色々な事を考えた。
自分自身で納得して、主体的にこの生活をこなしていくために…

 


常に頭に合ったのは、6月に生まれた娘の子育てとコロナ対策の両立。基本的に、この二つに対して求められる行動は一緒だ。すなわちステイホーム。夜に飲み歩いたり休日に遊びに行ったりしないことが、たとえコロナ禍でなくたって夫に求められていることだし、それは一応理解している。

 


理解しているからこそ、今のこの理想に近い暮らしを、果たして私は平時でも実践できただろうか?と内省的に考えてしまう。もし妻の出産が1年前だったとしても、私は、家庭を無事に運営できていただろうか?まさかコロナに救われていないだろうか?飲み会も残業も中国出張もゴルフ接待もないこの世界を、心のどこかで有り難がっていないだろうか?有り難がってしまうことを、不謹慎ではないと言い切れるだろうか?疑念はいつまでも払拭されない。そういったことをずっと考えている年だった。

 


一方で、コロナ禍は来年以降もしばらく続くだろうし、育児こそ今後ずっと続くので、この生活はそう終わらないはずだ。だからきっと今年考えた事や感じた事の延長線上に2021年があり、2022年がある。もしかしたら、何もかもが真新しくユニークなのは今年だけかもしれない。来年以降はいまの思考や感情をベースに行動し、やがてそれが日常となっていく。日常となった果てには、もはや考えることすらしなくなるかもしれない。というかそういう思考停止状態こそが日常だろう。

 


多くの人命と、もっと多くの経済的な犠牲の上で、かりそめの日常が「ニューノーマル」と呼ばれていく。物理面・精神面でウチとソトを二分化してしまうニューノーマル世界において、家庭内がハッピーである限り、外界の色々な出来事と記憶は都合よく忘れ去られるだろうけど、果たして本当にそれで良いのだろうか?煉獄さんや煉獄さんの母上殿は許すだろうか?

 


様々な記憶…もはや遥か遠い昔の事件となってしまったダイヤモンドプリンセス号のころ、GWの自粛期間、2ヶ月間の育休期間、第二波・第三波と呼ばれる感染拡大シーン…それぞれの環境の中で感じた事や悩んだ事を、しばらく忘れないようにしたい。娘の成長という幸福な記憶と共に、常にそれと背中合わせだった2020年の暗い部分にも目を背けず、できる限り覚えておきたい。さいわいにも今年は忘年会をしていないから、きっと忘れずにいられるはずだ。

第一子が爆誕した件

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6月1日に娘が産まれた。

と思ったら、ほんの一瞬で1ヶ月が経った。


赤ちゃんを「新生児」と呼べるのは生後4週までで、毎日をアワアワ慌ただしく過ごしていたらもう新生児期が終了してしまった。何事もお試し期間は短い。これからは乳児とのこと。

とはいえバタバタ過ごしているなりにも少しずつこの生活に慣れてきたので、ここまでのジェットコースターのような、あるいは巨大迷宮のような日々を振り返ってみる。

じっくり振り返った結果、かなり長々と書いてしまったので、ムダでヒマなWeb会議に参加しているときなど手持無沙汰な瞬間にこの記事を思い出して読んでもらえたら幸いである。

 

 

 

目次
 

妊娠期間
covid-19の影響
在宅勤務と育児休暇
娘との生活
 

 

 

 

1. 妊娠期間
 


妻の妊娠が判明してから、2人の最初にして最大の山場は11月だった。私は人生で初めて救急車に乗った。

 

妻が「やばいやばい、苦しい、死ぬ」とただならぬ剣幕で私を起こしてきたのは深夜の二時半。妊娠初期で免疫機能がガタガタになっていたせいか、身体に激痛を感じていた。


詳しい病状については割愛するとして、これまでの人生で119番通報する機会がなかったため、なによりコール後の勝手が分からなくてひどく焦った。

特に「救急隊員って意外と家に居座るんだな」という驚きがあった。通報後爆速でやってきた割には、どこか余裕のある表情で妻の様子を伺っている。

「さあ!行こうか!」とロストマンさながら玄関へ促すも、いつまでもいつまでもリビングで問診みたいなことをしている。えっこれ、粗茶でも出した方がいいすか?

 

問診の結果、まあ大事には至らなさそうだということがなんとなく分かったものの、痛みは続くので、そのまま夫婦で救急車に乗り、病院へ向かった。
初めて乗る救急車の中には見たこともないアイテムが所狭しと並んでおり、もし妻(看護師)が元気だったら「あれなに?」「これなに?」と聞けるのだが、妻と言えばいまはめちゃくちゃそれどころじゃない刻苦の表情を浮かべているので、こちらとしても神妙な顔で黙っている他なかった。

 

結局、点滴を打って、明朝の日の出とともに帰宅した。慢性的な苦痛はその後も続き、そしてゆっくりと消えていったようだった。
一時はどうなることかと思ったが、結果的に、母子ともに後遺症無く済んで本当によかった。

 

 

 

もうひとつの変化としては、19年8月に私の部署異動があった。


これまでの部署では、関西方面にて出張ベースで打合せする機会が非常に多く、月一で中国にも通っていた。

特に一度中国へ行くと、中身の割に長々と4泊程度は拘束され、月曜の早朝に家を出て金曜の深夜に帰ってくることも多かった。

仕事自体は楽しいし、これを貴重な人生経験として考えれば全然悪くない出張だけど、身重の妻に1週間の留守番をさせずに済んだのは、偶然の部署異動のおかげだった。

 

新しい部署では都心に本社を構える材料メーカー相手の仕事がメインになったので、中国どころか泊りがけの出張もほぼ無し。

これによって、なんと、毎日帰宅することができるようになり、不在による不安を多少は減らせたんじゃないかと思う。私たちはいることよりいないことが原因で喧嘩する方が多かったから、これは良い変化だっだ。


少し経って妻は夜勤をやめた。これにて同棲開始から2年半、入籍から1年経ち、ようやくはじめて毎日一緒に暮らす日々が始まった。

一緒に過ごすということは、当然だけどこれまで以上に家で飯を食うので、実家にあるようなドデカ冷蔵庫も買った。以後2人は安心してモリモリ食っている。

 

 

 

2. covid-19の影響
 


「いつツイッターで妊娠報告するのか?」というテーマは、二人にとって意外と重大だった。2人ともツイッター村に住んでいるようなものなので、村民への報連相は欠かせない。

妻は「産まれました!」と産後にネタバレするのが理想とのことだったので、それに従った。
ごく一部の友人にだけこっそり伝え、あとは出産当日まで誰にも何も言わないようにしようと決めた。

 

この無謀な企みが完走できてしまったのは、covid-19の影響が多少なりともあったように思う。あのウイルスを恨みこそすれ、感謝することなど微塵も無いのだけど、ことこの秘密に関してはこんな世の中であるがゆえに隠し通せたようなものだ。


平時であれば毎月のようにフォロワーを自宅に招待してホームパーティ気分を楽しんでいたけど、ダイヤモンドプリンセス号の来航以来まったくそんな雰囲気ではなくなってしまった。

私達は、出産までのラスト3か月間をほとんど人と会うことなく過ごした。「屋外ならよくね?」と、こっそり4月に私の誕生日BBQ会を企画してくれていたものの、日々悪化する情勢のなか、結局は見送るしかなかった。


記憶というのは、時にとても杜撰だ。2月に何を考えていたのか、3月にコロナウイルスをどう捉えていたのか、私はよく思い出せない。

周囲より警戒していたような気がするし、逆に対岸の火事のように捉えていた気もする。どうしても今現在の認識に引っ張られてしまう。

 

結局、我が国はイタリアやアメリカのようにはならなかったが、一方かれらと同等以上にひどい事態になった国もある。すべては結果論である。よって純粋な記憶も"結果論"のバイアスに侵される。よく言えば価値観のアップデート、悪く言えば「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」とも。


過去を正しく認識していないと正しく反省することができないので、そういう思いも込めてあえて現状を書き記すと、6月末時点の東京では再び少しずつ感染者がゆるやかに増加しているが、行政の判断は「第二波ではない」だそうだ。

3月時点と検査対象の母集団が異なるのであれば、発表の通りだと思うけれど、目先の都知事選挙を見据えた中での大本営発表はおいそれと信じられない。

 

ただまあ、こればかりはやはり、未来の自分に"結果論"で判断してもらうほかなく、これからもなるべく感染リスクを抑えた暮らしを心がけるしかない。

 


話は反れたが、ともかくこのリスクを抑えるため、出産を控えた夫婦においても、夫の病院への出入りや立ち合い出産は固く禁止された。

 

かくなる上は病院の外からドローンを飛ばして窓から侵入し、動画の生中継によってリモートで出産に立ち会う方法や、Amazonで購入したマネキンに夫の服を着せて分娩室に持ち込む方法などが、同じく妊婦の妻を持つ旦那同士で積極的に議論されたが、結局はおとなしく病院の指示に従うことにした。


出産という、一番大変な時に妻のそばにいてあげられなかったのが悔やまれるけれど、こればかりは本当に仕方なかった。

 

 

 

3. 勤務と育児休暇
 


3月中旬、ウイルスの感染拡大を受け、勤務先でも在宅勤務が始まった。

その1か月後には妻の産休も開始したので、ついに24時間一緒にいる生活が始まった。

 

家の中で仕事をするのは当初ひどくこっ恥ずかしかったけれど、そんなことを言っている余裕もなく仕事を回さねばならないので、やむを得ず頑張った。

「営業職はアクターでなければならない」と先輩から教わって以来、いつの間にか「営業中の自分」という役回りが板についてきたけれども、それは好きな人に率先して見せたい一面では決してないので、こういう葛藤が付きまとった。

 

とはいえ、感染リスクと天秤にかければ背に腹は代えられないので、3月以降は本気で家に引きこもって仕事をした。

出産後、引きこもりの延長で育児休暇も取得した。今まさに育児休暇中だ。この文章も無給の状態で書いている。さぞ無給らしい軽やかな文章だと思いませんか?私は思わないが…

 

 

育児休暇そのものは、今年1月時点で相談した。まだcovid-19の被害がこの国にやってくる前の段階だったが、快諾された。小さい会社ゆえ、男性が取得するのは初めてらしい。


相談相手の上長は、還暦を過ぎたTHE昭和な営業部長なのだけど、彼が恐ろしいくらい物分かりがよくて、私は肩透かしを食らった。

もし断られたら総務に直談判(「就活生に対して『当社は男性も育休を取っている』と言えたら会社にもメリットありませんか?」みたいな話)をするつもりだったが、杞憂に終わった。この点については本当に感謝しかない。復帰したら一生懸命(当社比)働こうと思ってる。

 


私の育児休暇の期間は2ヶ月弱と、女性に比べたら短いので、仕事をまるっきり全て同僚に引き継くことはしなかった。特に社外に対しては、親しい相手にしか伝えてない。大手メーカーの営業達はみなまだ在宅勤務しているので、家にいようとオンラインで打合せが済んでしまう。これ本当に便利。

日によっては在宅勤務とほとんど変わらない多忙な時もあるけれど、ごく稀なので、妻の協力によってまだ両立できている。

まあ無給なので、本当は何もしなくたっていいのだけれど、それはつまらない人の思考だなあと思うので無理のない範囲で参加している。

 

肝心の家庭内の仕事としては、家事全般と買い物、それと夜間帯のミルクのワンポイント登板をやっている。

なるべく妻にはたくさん寝てもらいたいから深夜のミルク当番を買ってでてるのだけど、産後の母にはアドレナリンみたいな物質が出ているらしく、そんなに寝なくても済むらしい。本当か?

 

一方俺はといえば当然ホルモンバランスなど産前から何一つ変わっていないので、これまで通り眠たいし、ぐっすりたくさん寝てしまうし、一度寝ると朝まで起きない。娘が泣いても起きないし、地震が来ても起きない。なんだか申し訳なくなるけど、起きないのだから仕方ない。その分起きてるときに頑張ろうと思う。

 

弊社は古き良き(?)日本企業なので余程の事がない限りクビにはならないけど、こと家においては油断すると「きさん(北九州の方言で貴様のこと)は家にいなくていいから早く会社行って稼いでこい」という内容の育休自主解消宣告を受けそうなので、家庭の平和のみならず己の衣食住の確保のためにも尽力するのであった。

 

 

 

4. 娘との生活
 

 

さて、こうして妻と娘と猫と暮らす生活がスタートした。

赤ちゃんはめんこい。ちゃんと調べた事はないけど、"めんこい"というのは東北の方言だと思っている。個人的なイメージとしては、縁側で日光浴しているおばあちゃんが膝に座ってる孫に向かって言う「かわいい」が「めんこい」だ。

容姿とか表情にとどまらない、存在そのものを褒める形容詞だと思う。赤ちゃんはめんこい。

 

娘を抱いていると、まずその小さな生命を両腕に預かっていることの重圧を感じる。そしてその責任があるからこその愛おしさがある。親になるってこういうことなんだな。感無量だな。早く『わたしパパとけっこんする!』って言われてえな。できれば『パパ、くさい!』って言われる前にクリアしておきたいな。今から一生懸命に脇や足を洗っている。

 

 

 

ただ正直、いくら育休をとっているとはいえ、夫が主体的に新生児と取れるコミュニケーションはほとんど無かった。今できることといえば、ミルクをあげる、げっぷを出させる、寝かしつけるなど、生存にまつわる本質的な事だけ。まあみんなそうなのかもしれないが…

特にこの6月は妻のサポートに徹することしか出来なかったけれど、大きくなるにつれて私にも出来ることが増えるだろうから、それを信じてサボらずになるべく関与し続けていきたい。がんばるぞ。

 

 

 

最後に、家族や友達が娘に可愛いプレゼントを選んで送ってくれたのが本当に嬉しかった。なかなかゆっくり買い物に出かけることができないので、皆の気立てとセンスにうちの家族たちは生かされてます。どうもありがとう。

 

そして、ただ思ってる事をむやみやたらに書き連ねただけの駄文をここまで読んでくれて本当にありがとう。友達から「喋りたい欲の塊」と評された私のこの喋りたさを活字に乗せてお届けするシリーズ、また喋りたいことが溜まったらダラダラと書いてみるのでその時はひとつどうぞ宜しく。

 

1年前の日記 最終日

このイタリア旅行記も今回が最後。7日間なんとか無事に完走できてよかった。毎日コツコツが苦手なのによく頑張ったし偉いと思うし、飽きもせず読んでくれてる人はもっと偉い。本当にありがとう。また思いつきで何か書き始めたときはよろしくね。

 

 

 

 

<ここまでの記事を貼るのも最後>

1年前の日記 1日目 - SHOMONA  到着編

1年前の日記 2日目 - SHOMONA  ローマ編

1年前の日記 3日目 - SHOMONA フィレンツェ

1年前の日記 4日目 - SHOMONA フィレンツェ

1年前の日記 5日目 - SHOMONA ミラノ編

1年前の日記 6日目 - SHOMONA ミラノ編

 

 

 

 

 

4月22日 ミラノ くもり

 

 

 


寝る前に飲んだビールのせいか、あまり寝起きが良くない。

最終日という事もあって疲れもピークに達しているはずだが、今日これから起きる奇跡を知っていたら、きっと気分も違っていただろうに。

 

 

 

さて、2人は旅行最後の大イベント「お土産の買い出し 対エッセンルガ戦 リベンジマッチ」の為、決戦の地エッセンルガまで歩く。

出かける前に財布の中の残金を確認したところ125ユーロ弱(約1.5万円)あったので、一応これを買い出しの予算として、足りなかったらカードで支払うけどまあ余裕っしょ、ということになった。

 

 

 

その戦いは、難行を極めた。お土産の目玉商品と決めたワインだが、どんなワインを買ったらいいのか全く分からないのだ。

ラベルの文字が読めない事はもとより、たとえ読めたとて素人には意味が分からず、味が想像できない。

棚に並んだワインの総数は、おそらく500本以上あったように思う。この中から免税の範囲で買える6本を選んでいく。

付け焼き刃の知識をどうにか検索で得ながら、ひとまず5本をチョイス。慌ててパスタやパスタソースを探す。

予算の話などすっかり忘れ、(空港へ向かうバスに乗る)タイムリミットのみを意識してバタバタとレジに向かう。そして40点ほどをレジに通したところ、なんと合計122ユーロ。超ギリギリ予算内。余ったのはわずか3ユーロ。奇跡が起きたかと思った。

 

 

 

悲しいかな帰りのメトロ代すらなくなったので、重たい荷物を両手に抱えて2駅分歩き、ホテルで荷作りし、チェックアウト。バスに乗ってミラノ空港へ。

 

 

 

空港で再び奇跡が起きる。預けられる荷物の重量は1人あたり23 kgだったのだが、なんとゆるいのキャリーがこれを超過。

重量オーバー時に発生する追加料金の100ユーロが頭をよぎる中、窓口の指示で俺のキャリーも乗せ、合わせて計測したところ、45.5kg。

2人合計で46 kg以下だったため、おとがめ無し。たった500gの差で100ユーロ浮く。

有頂天になった2人は浮いた100ユーロを予算に免税店で6本目の「ちょっとお高いワイン」を購入。2人にはこうやって使っちゃう癖がある。帰ったらちゃんと貯金しよう…

 

 

 

 

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思わず撮っちゃった

 

 

 

 


この日のために入手したプライオリティパスを使ってお邪魔したラウンジでイタリア最後の食事を終えると、ハネムーンを満喫した2人を乗せたエアバス330は、曇天のロンバルディアの空へ飛び立った。

 

 

 

 

 

 

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イタリア最後の食事はワイン飲み放題

 

 

 

旅程を組み、レストランを調べ、旅行アイテムを買い揃える作業をほとんどゆるいに任せてしまっていたので、自分としては現地で歴史をガイドしたり、つたない英語でコミュケーションをとることを頑張った。思い返せばこれらもアドリブが多かったので、せっかくならもっと事前に勉強していけば良かったとも思う一方、等身大の自分達でも充分楽しめるという手応えを感じることが出来た。

 


これからも飾らない2人で、色々な場所へ旅をして、楽しく過ごしていきたい。

 

 

おわり

1年前の日記 6日目

どうぶつの森をしたり深夜徘徊をしたりしていたらギリギリになってしまった、慌てて更新。

日記も残すところあと2日。

 

 

 

<ここまでの記事を貼る作業に慣れてきた>

1年前の日記 1日目 - SHOMONA

1年前の日記 2日目 - SHOMONA

1年前の日記 3日目 - SHOMONA

1年前の日記 4日目 - SHOMONA

1年前の日記 5日目 - SHOMONA

 

 

 

 

4月21日 ミラノ 晴れ

 

 

 

しかしずーっと晴れてるな!本当に嬉しい。日頃どころか、向こう10年分の行いの良さを前借りしてしまったようだ。引き続き品行方正に生きることをローマカトリックの神様に誓います。ありがとうございます。

さて今日は、その神様の復活祭ことイースターの日曜で、ほとんどの店が休み。ホテルのディナーレストランも閉まっていた。

 

 

 

 

のんびりとホテルを出て、昨日買ったメトロ1日券でドゥオーモへ。地上へ上がるとすぐドゥオーモ。よくこんな歴史的建造物の真下に穴を掘ったな。

 

ミラノのドゥオーモはヨーロッパ最大級の大聖堂で、13世紀に作り始めてナポレオンが完成させたとか。日本で言えば鎌倉の大仏に西郷隆盛がバカデカい屋根を付けたみたいな。違うな。違かったから忘れてくれ。

 

 

 

 

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これ!!

 

 

 

 

ともかくその大規模なドゥオーモ、何がすごいって写真におさまらない。外観を撮っても中から天井を撮っても、上手に切り取ることが難しいくらい大きい。肉眼で目に焼き付けるべし。

 


隣接するヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世(世界史に出てきたな)のガレリアも含めて、とにかく見るものを圧倒させる存在感があった。というかどうやって作ったんだよ、想像もつかない…

ピラミッドはほら、図面さえ書けばあとは脳筋でも積み上げられそうじゃん。でもこのドゥオーモの細部まで拘った装飾、天井まで届くステンドグラスの中の色づかい、パイプオルガンにごっついリバーブをかける空間の音響などは、技術者・職人が少しずつ手作業で作り上げないと上手くいかない芸術品の巨大な集合体なのである。

全ては神への信仰心と莫大な予算のたまものだ。心ゆくまで堪能した。

 

 

 

 

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デカすぎてどう撮っていいか分からない

 

 

 


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厳かにイースターのミサが執り行われていた

 

 

 

 

この日のメインイベントを終えたので、あとは流し。スポンティーニでミラノ風ピッツァを食べ、開いている店でショッピングした。とにかくディアドラorロットの服が欲しかったので、Foot Lockerという店で購入。ゆるいはインテルショップでクマのキーホルダーを買った。インテルってクマがマスコットだったか…?

 

 

 

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スポンティーニは原宿にもある

 

 

 


最後にエッセンルガというイタリアのイオンでお土産を買えば完了!だったのだが、イースターで店休日に。出鼻をくじかれる。かろうじて開いてたお菓子屋で缶入りのビスケット(チョコだっけ?)を買い、これを職場でバラマくことにした。

 

 

 


ホテルでひと休みしたあと、フロントで教わったレストランへ。イタリアでの最後の晩餐だ。

 

ミラノ風カツレツ(レコードくらい大きい)とラザニア(宝石箱くらい大きい)をたらふく食べ、大いに語らった。

これからの2人の事、将来の話、旅の思い出…周りに伝わらないのを良い事に好きなだけ話し合った。

 

よく喋ったという達成感と、千切れそうな満腹感を携え、ホテルへ戻った。

 

最終日に続く→

1年前の日記 最終日 - SHOMONA

1年前の日記 5日目

ついにこの旅行のメインイベントがやってきた。人生初、ヨーロッパで本場のサッカー観戦!

 

 

 

 

 

<ここまでの記事を貼るのが意外と手間>

1年前の日記 1日目 - SHOMONA

1年前の日記 2日目 - SHOMONA

1年前の日記 3日目 - SHOMONA

1年前の日記 4日目 - SHOMONA

 

 

 

 

 

4月20日

フィレンツェ→ミラノ 晴れ

 

 

 

 


早朝起床。朝日を目一杯浴びながらモーニング。

気球が1つ2つ飛んでいるのもいとをかし。

 

 

 

 

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飛んでたんだよ

 

 

 

 

この日はミラノへの移動日。8時の列車に乗っていざミラノへ。ひたすら平坦な地形が続いた。ミラノの郊外にさしかかったところで、一週間ぶりにコンクリート製のオフィスビルを見かけた。びっくりして写真撮ろうかと思ったけどローマやフィレンツェが異様なだけでこっちが普通だった。フィレンツェはレンガだからまだいい、ローマの遺跡は石だからな…

 

 

 

午前中にミラノの宿にチェックインでき、翌日は日曜で商店が閉まりがちだろうと踏んだことから、すぐに散策&ショッピング開始。

 


旅行代理店が設けたサッカーのチケットを受け取る窓口で、久しぶりに日本語のコミュニケーションできた。日本語は最高。ボーっとしながらでも話せるので。

 


ガリバルディ通りで皮小物とラビオリの実績を解除し、スフォルツェスコ城でピクニックする。都市の中にある城壁で、なんかすごく歴史があるっぽいんだけど、2人にとってはのんびり過ごすための公園に過ぎなかった。体感では新宿御苑や代々木公園みたいなイメージ。

 

 

 

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逆三角形の蛇はミラノの紋章🐍

 

 


夕方、ホテルの近くでピザを食べ(オリーブオイルが美味しくて興奮した)、いざサッカーを観にサンシーロスタジアムへ。

 

サンシーロのセキュリティチェックで、レンタルのモバイルバッテリーを没収されそうになり焦る。(後ほどゴール裏のウルトラスが焚く発煙灯を見たゆるいが「これがダメであれが良いのは何故…?」ってぼやいてて面白かった。)

 

 

 

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3階席は(今さら)耐震強度が低いらしく、未開放だった

 

 

 

サンシーロというスタジアムには100年の歴史があり、8万人くらい収容できる巨大建造物なんだけど、今回取れた席はなんとメインスタンドの5列目。ピッチがめちゃくちゃ近い。目の前でインテルスパレッティ監督の喜怒哀楽(70%は怒だったが)を見続けることができた。そしてサポーターのみんなと一緒に応援歌を歌ったり、スタジアムDJとコール&レスポンスをしたり、応援するインテルの不甲斐ないプレーにはため息やブーイングで呼応することができた。

 

 

 

 

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近過ぎてウイイレかと思った

 

 

 

 

10歳の頃には既に「いつかヨーロッパで本場のサッカーを見たい」と夢見ていた。当時はセリエAマンチェスターUしか眼中になく、スタジアムもオリンピコサンシーロオールドトラッフォードくらいしか知らなかった。

そんな子供時代のシンプルで大きな夢を、今日この日にミラノのサンシーロスタジアムで叶えることができた。

 


インテルミラノvs ASローマの1対1に終わった試合は本当にあっという間で、もう90分見られる!と思った。ハーフタイムに皆が席に座ったまま喫煙していて副流煙がちょっと辛かったけど、それもいい思い出だね。

 

 

 

 

実は子供の頃の夢を叶えるという個人的な目的で選んだ旅行先だったけど、おかげで完全に満足できた。そして何より、この旅を快く了承し、一緒に楽しんでくれているゆるいに心から感謝したい。試合の余韻に浸りながらホテルへ戻り、そのまま眠った。

 

6日目に続く→

1年前の日記 6日目 - SHOMONA

1年前の日記 4日目

このシリーズも折り返し地点を過ぎ、旅行は後半戦へ。なんとかと煙は高いところへ登りたがるというけど、そのなんとかを地で行くのが俺たちだ。

 

 

 

<ここまでの戦い>

1年前の日記 1日目 - SHOMONA

1年前の日記 2日目 - SHOMONA

1年前の日記 3日目 - SHOMONA

 

 

 

 

4月19日 フィレンツェ 晴れ

 

 

 

 


フィレンツェのホテルの朝食も美味しい。朝からケーキ食べるのハマりそう。2切れたいらげる。

 


ホテルの最上階にバー&レストランがあり、ここが朝食会場も兼ねていた。テラスの向こうから差し込む4月の朝日が、注がれたばかりの炭酸水の入った透明なグラスの中で泡のひとつひとつに虹色の反射を作り、大きな1個の宝石のように輝いていて印象的だった。

 

 

 

今日は市街地の中心にそびえる「ジョットの鐘楼」に登る。毎日どこかしらに登っている気がする。

 

ジョットとはドゥオーモの横に位置し、85メートルある石の塔で、エレベータが無い。環境に優しく人には厳しい建物だ。頑張って登ってみたところ、想像以上の絶景が待っていたので早々に許した。というか見晴らし良すぎ。足元の街並み、少し離れた駅や美術館、小高い丘、丘の上の家々、森から山に続く緑のグラデーション。ずっと見たかった景色のひとつなので、こころゆくまで堪能した。

 

 

 

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筆舌に尽くしがたい

 

 


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ほんとマジで

 

 


この旅行の良さは、これまでの人生で見たかった景色、体験したかった事、食べたかったメニューが驚くほどスムーズになされていき、ある種のスター状態というがラスボス後のエンドロールで見る光景というか、そういった非日常感を味わえる事だと思う。すげぇ楽しい。

 

 

 

 

400段以上の階段を一気に降り、ジェラートとピッツァを食べたところで、ウフィッツィ美術館へ向かった。美術史に疎く、これといった予習もしていない俺でもよく知ってる絵画がいくつもあり満喫できた。


中世の絵画、とくに今日まで残っている作品は、パトロンの依頼で製作し、人目につく所へ飾られたものが多く、例えば後世の印象画なんかと比べるとそれらは明らかにサイズが大きく、鑑賞しやすいことに気付いた。

 

平たく言えば、サイゼリヤの壁で見かけるあれである。

 

 

 

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サイゼリヤサイゼリア

 

 


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いつも迷うからサイゼで統一してほしい

 

 

 

ヴェッキオ橋のたもとでフィレンツェの紋章をモチーフにしたネクタイを、市中のショップでSuperdry(しなさい)を購入。いつ使うんだよと帰宅後に悩む土産こそ旅行の醍醐味だ。

 

 

 

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意外と結構しっかりした素材と値段だった

 

 

 

醍醐味といえば、フィレンツェ名物のTボーンステーキを吸い込んだ後、19時過ぎにはホテルへ戻り、ここまでの過密日程で疲れた体を休めるために「何もしない」時間を設けたのも、旅行における贅沢のひとつだと思う。明日もまた早朝から夜遅くまで活動するからゆっくり寝よう、と思うまでもなく眠くなって寝た。

 

5日目に続く→

1年前の日記 5日目 - SHOMONA

1年前の日記 3日目

このシリーズも3日目に突入。

明日も書ければ無事三日坊主脱却。たぶんいける。

 

 

<ここまでの記事>

1年前の日記 1日目 - SHOMONA

1年前の日記 2日目 - SHOMONA

 

 

 

4月18 日

ローマ→ フィレンツェ 晴れ

 

 

 

チェックアウト後、歩いて駅に向かう。

 

偶然日本人のロケ班?みたいな撮影クルーを見かけ、ほお〜と思いながら歩いていたら、いつのまにか「駅構内に入っていくシーン」を撮ってるカメラマンと芸能人(若手俳優?アイドル?声優?)の間を通ってしまい、夫婦がテルミニ駅に吸い込まれていく絵が撮れてしまってたことになり、少し申し訳なかった。

 

 

 

気をとり直して、フィレンツェに向かう新幹線のような列車に乗る。向かい合って座った。

子供の頃から、母親の隣で「NHK テレビイタリア語講座」を眺めて育ったので、イタリアの景色などについては少しばかり身に覚えがあった。その中でも特に、ローマからフィレンツェにかけての田舎の風景が好みで、それは小高い丘の連なりと丘の上の家、山のすそまで続く草原、羊の群れ、オリーブ畑などから構成される。今回車窓から見ることが出来るので、密かに楽しみにしていた。

 


2人は電車に乗り、電車は走り出し、しばらくしてついにその光景を目にした2人。ようやくの景色に出会えて感慨深い俺を横目にゆるいが言った。

 


「なんか山口県に似てる」

 


いやいやいやいやと思ったが、よく見ると確かにそうだった。石灰岩がむき出しになった丘、手付かずの林、点々と存在する狭い畑、極めつけは家々を覆う赤茶けたレンガの屋根。これ下関をドライブした時に見たやつじゃん!

あれほど憧れていた風景がすっかり九州・四国地方の原風景にしか見えなくなったので、こんな発見もまた旅の良さだと思い込むほかなかった。

 

 

 


この日のフィレンツェでの目的は、郊外のアウトレットモール。足を踏み入れると、そこには見渡す限りの中国人。あれ、ここは上海の郊外だったかな?と不安になるレベルだった。パニーニを食べ、今はイタリアにいることを思い出す。

アウトレットでは、イタリアのブランドショップを中心に3時間ほどウロウロし、サングラスとネクタイを買った。

ゆるいはプラダのバックとキーケースも買った。以降、2人はサングラスをかけながら旅をする。

 

 

 

 

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ハンバーガーみたいなパニーニ

 

 

 

 

バスで市内に戻ってきたのは夕方で、ホテルに荷物を置き、20分ほど歩いてディナーの店に向かった。

今夜もフォロワーに予約してもらったレストランで食事。頭が上がらない。帰国したら絶対店に行こっと。

 

 

 

 

 

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Bar Pálinka バーパーリンカ – 国内唯一のパーリンカ専門バー

行きました。

 

 

 

さて、今夜のレストランは「フォーシーズンホテル」の中にあり、これがとても美しい。シャンデリア、花々...なんとグランドピアノまで。なんだかララランドのシーンみたいだねーなんて話していたら、本当に劇中歌を演奏してくれて今日一番テンションが上がった。

24ヶ月熟成の生ハムと、板状のパルメザンチーズで覆われたシーザーサラダ、そしてオリジナルカクテルを頂く。

店内を見渡すと、モデルや女優みたいな人しかいなくて、(服装も大胆!)こんなアジア人が来てごめんなさいとなった。

 

 

 

 

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生ハムも美味しかったんだけど…

 

 

 


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衝撃だったのはチーズ。人生で一番美味いチーズだった

 


ひと通り楽んだしそろそろ帰ろっか?となったところでバーテンダーエドゥアルド登場。特別なカクテルとケーキとお土産まで頂く!

会計には含まれてなかったので完全にサービスだった。どうもありがとう。美味しかったです!!!グラッツェ!!!!

 

 


興奮したまま歩いて帰り、空は満月で、夜道を歩くには最高の気温でもあった。

 

4日目に続く→

1年前の日記 4日目 - SHOMONA