SHOMONA

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人生最古の祈りの記憶

熱が出た。

久しぶりの高熱だった。

 

インフルエンザにかかったのは4年半ぶりだ。前回の罹患をきっかけに喫煙の習慣を辞めたから、よく覚えている。熱にうなされた2015年の1月といえば、当時はまだ福岡に住んでいたどころか、妻にも出会っていなかった。ずいぶん大昔のように感じる。

 


大昔の話をもうひとつ。まだ4〜5歳の頃の話。本当の大昔だ。

場所は仙台。弟が生まれて数年が経ち、12月も終盤にさしかかるその頃、熱が出た。38度はゆうに越えていたように思う。当時は体が弱く、このくらいの発熱は日常茶飯事だったが、その日ばっかりは事情が違った。目前にクリスマスを控えているのだ。

疑うことを知らない少年は、熱だろうと何だろうとサンタさんはやって来ると思っていた。そこに心配の余地は無かった。最大の問題は、チキンとケーキだった。1年間心から楽しみにしていたローストチキンとクリスマスケーキを、今年は食べられないかもしれないという不安が、病床の幼稚園児を襲った。我が家では風邪の日はお粥だった。天と地ほどの差がある。ありすぎる。早く治さなければ!

 


焦りに駆られた少年がとった行動はシンプルだった。祈ったのだ。思い返せば人生最古の「祈り」の記憶だ。祈るといっても、ミッション系の幼稚園に通っていたわけではないから、神さまの存在はまだ知らなかった。サンタクロースですらその対象では無かった。何に祈ったかといえば、チキンとケーキ。チキンとケーキそのものに祈った。食べきれないほど大きいチキン、丸くてイチゴがたくさん乗ったケーキを頭の中で思い描き、対象物そのものに「風邪が治って食べられますように」と念じた。なんとアニミズム的であろうか!ラスコー洞窟に描かれた大量の動物の壁画も、実はこれと同じような動機じゃないかと睨んでいる。

 


寝付けないせいもあって、祈りは一晩中続いた。信心深いわけでもなんでもなく、ただの食い意地の強いガキでしかないのだが、それでも“神さま”は見ていたのか、翌朝には奇跡的に平熱に下がっていた。以降この少年に「信じるものは救われる」マインドが根付いたのは言うまでもない。神さまの世界にもこういう初回キャンペーンみたいなのがあるのだろうか。

 


完治してから食べるチキンは格別だった。ケーキはどんなケーキよりも美味しかった。今でもよく覚えている、幸せなクリスマスだった。とても良い話のように思えるが後日談があって、少年の看病にあたったばかりに風邪がうつりクリスマス当日に寝込んでいる母親のことは見向きもせず、こいつはこれみよがしの大声で美味しい美味しいと叫んでいたらしい。なんというクソガキだろうか。個々が個別の神様に勝手に祈るからこうなるのであって、つい一神教の必要性に思いを馳せずにはいられない。

 


梅雨も明けるというこの季節に延々とクリスマスの話をしてしまったが、そもそも季節外れのインフルエンザにかかってしまったことに問題がある。熱こそ下がったが、相変わらず喉が痛い。チキンもケーキも見当たらないが、この場合どの神様に祈るべきだろうか。