SHOMONA

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お散歩

今日は普段より少し長い距離を、一人で歩いてみた。

 

 

日常生活における「移動」はただただ無駄な時間でしかないので、手持ち無沙汰の余白を埋めるようにツイッターを見たり、スマホゲームをしたりしながら最短ルートを直行するのだけど、今日は「散歩」がしたいと思い、昼と夜に3kmずつ歩いた。おかげで歩きながら色々なことを少しずつゆっくり考えることができた。足の爪が痛くなったが、そんなのは必要経費だ。

 


東京を歩くのが大好きだ。

東京は、誰でも気の向くまま自由に歩くことが出来る。ここには本当に多くの人がいて、一人ひとり自由意志を持ち、好きなように歩いている。右へ行ったり、慌ててもと来た道を戻ったり、立ち止まって酒を飲んだり、杖をついて一歩ずつ踏みしめたり、路上で歌ったり、歩きながらキスをしたりしている。そしてそれらは、誰の気にも留められることなく過ぎ去っていく。

地方都市にありがちな、丘の上のニュータウンで生まれ育った我が身からすると、東京には本当に信じられないほど自由がある。たとえば目的もなく歩くことができる。歩きながら今日の昼飯を探すことができる。地元でそんなことをしている大人は一人もいなかった。

 


「逍遥」という言葉も好きだ。

"しょうよう"と読む。大辞林には「気ままにぶらぶら歩くこと」とある。まさに今日してきたことだ。

母校の応援歌にあったので単語は知っていたが、大人になってから意味を知り、好きな言葉リストに入った。自分の行為が古めかしい漢字で定義されると、ものすごい権威に肯定されている気分になるのは、自分が体制的な人間だからだろうか。

逍遥という言葉にロマンを感じるのは自分がただ散歩好きだからというだけではなく、アフリカで生まれたホモ・サピエンスユーラシア大陸を経て南アメリカの南端までたどり着いたのは「気ままに歩く」ことが得意だったからではないか、という荒唐無稽な妄想も可能にしてくれるからだ。他のどの動物より遠くへ歩きに歩いて、ついに地球を征服してしまった。

 


これからもしばらくは東京に住みながらどんどん散歩をしていきたい。という気持ちと同時に、東京などという狭い土地なんかに縛られずいろいろなところへ飛び出して遠い先祖の追体験をしてみろよ、という矛盾した心の声も聞こえる。どうだろう。どちらも捨てがたい。取り敢えず、もう少し歩きながら考えてみることにしよう。