SHOMONA

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公園で全力疾走した話

それを「正のスパイラル」と呼ぶか「負の連鎖」と呼ぶかは、他でもないその人次第だ。

 

人の目、というのがあり、とかく気にしてしまう。家族の前、クラスメイトの前、好きな人の前、あるいは上司の前で、自分自身を演じる。どんな行為だろうと、それは相手の持つ許容範囲の範疇に己の身を置く事に他ならない。

 

世間の目を気にすると、もう本当にキリがないから、あんまり気にしなくていいんじゃないか、という思うことが多い。人前でキスしたいカップルは所構わずすればいいし、したくなければしなけりゃいい。有意義なアフターファイブを過ごしたければ、上司の怯えず定時で帰ればいい。価値判断の基準は自分の中にあればいい。他人じゃない。

 

それを突き詰めていくと、いつの間にか他人に寛容になってゆく。自分は自分のしたいことをして、他人はそいつ自身がしたいことをすればいい。そんな心構えでいると、自分が想像する他人の価値基準が、段々緩くなってくる。俺はこれを許せるから、他人も許せるはずだと。

 

それは果たして、正のスパイラルなのか、はたまた負の連鎖なのか、今のところよく分からない。けれども皆がそういう価値判断で過ごしていられたら、もっと世の中が寛容になっていくはずだと思う。

 

様々なニュースがあり、興味本位が袋叩きを生み、そして忘れ去られる。だがしかしそんなに俺たちは、他人に興味関心を持つ必要があるのだろうか。自分自身を精一杯生きるだけで十分ではないのか。人目を気にせず、自分自身の天寿を全うすることが、最終的に自分の幸せに繋がるのだという価値観が、広く世の中に浸透すればいいと思う。

 

アラサーが深夜の公園で池の周りを全力疾走しながら、スケボーに勤しむ人やオタ芸を打つ人を横目に、なあに人目を気にすることなんてない、今は走ることだけを考えよう、誰がなんと言おうと俺は走りたいんだ、なんて事を頭の片隅で思いつつ、かくしてこの体は晩春に吹く一陣のつむじ風となったのであった。