SHOMONA

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3億円

ドリームジャンボ宝くじを買った。サッカーくじtotoなら挑戦したことがあったが、宝くじは初めてだ。

この手の賭け事については昔から確率や期待値を計算するのが好きだったのだけど、そのくせ肝心の結論はよく覚えていなくて、確か「バラ」を「3,000円分」買うのが一番期待値が高いんだっけ、なんて曖昧な記憶を頼りにニュー新橋ビルの売店で千円札を3枚叩きつけてきた。くらえ野口英世

 

「夢を買う」という言葉の意味が、最近ようやく分かり始めた。これは一種の破滅願望で、金の力で自分の日常を(良い方向に)ぶっ壊したいという希望の婉曲表現だ。

結果が出る過程、つまりギャンブルそのものを楽しむパチンコや競馬と違い、宝くじは静かに夢を買う。日常にひそむ閉塞感やガラスの天井、またはそれにすら気付かない平凡な日常を、圧倒的なマネーで破壊してもらう。

他の方法を使えば自ら簡単に破壊できるんだけど、それはスマートじゃない。そういうことがスッと出来る人間は宝くじなんか買わない。なまじ後先を考えられるだけの脳をもってしまったせいで、勇気がなく、他人任せの金任せ、たとえ上手くいかなくても高々小遣い程度の損失で穏便に済ませたい。そんな凡夫の俺たちに与えられた破滅への片道切符、それが宝くじだ。

 

幸か不幸か、そう簡単に高額な当選金は掴めず、絵に描いた餅にはありつけない。当然、手元の10枚も外れてしまった。残念だ。またいつもの日常を過ごさねばならない。ただ決してこの日常が嫌だというわけではないのがまた人間の面白いところで、二重の意味で欲深い。

 

ところで、政府の収入となったハズレくじの収益金は、公共事業によって国の欲を満たすのに使われる。「満たされなかった個々人の小さな欲をかき集めて、大きな欲を成す」わけだが、こう表現すると思わずロマンを感じてしまう。

ああそうか、このシステムは寄付だ。賽銭だ。

 

JR新橋駅烏森口から徒歩10秒、薄汚いビルの1階にある賽銭箱、通称「ラッキーセンター」は、夏が近づくとまた大きな口を開けて待ち構え、通りかかる人々から中途半端な欲望を吸い上げていく。

俺と日本、どっちの欲が深いか、次こそ勝負だ。