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欲望と上海

いまこのブログを読んでいる端末でグーグルを開き、「上海」で画像検索すると、おそらく皆のイメージ通りの、水辺の向こう側に大きなタワーが何本もそびえ立つ近未来的な中国の景色が現れる。日本でいう横浜のみなとみらいのような風景だが、この水は市内の中心を流れる川なので、海沿いではない。

 

この上海の中心部から、西へ5〜10kmほど向かったところに、虹橋(ホンチャオ)という地域がある。ここは上海市内でも特に日本人の多く住む街なので、街中を走ると、確かに日本語の看板を掲げる飲食店が目立つ。トンカツ屋、焼き鳥、お好み焼き、居酒屋、そば屋などなど、店さえ選べばそこそこのクオリティで日本食が食べられる。店員とも日本語でコミュニケーションができ、駐在員や出張者にとっての心のよりどころになっていたりもする。

 

その虹橋の市街地から少し外れたところに「虹梅路(ホンメイルー)」という道路がある。中国では、住所の代わりに道路の名前で所在を呼び合う。道路の1つ1つに名前がついていて、「◯◯路と△△路」みたいな言い方をすれば、その2つの交差点付近を示すことになる。タクシードライバーにも、行き先を道路の名前+番地で伝えることが多い。

 

そのホンメイルーに、贋作品のデパートがある。

 

粗雑な作りの建物に入り、エスカレーターで3階に上がると、端から端まで偽ブランド品のみを扱うフロアに着く。蛍光灯は薄暗く光り、高い湿度が肌にまとわりつく。東京の中野ブロードウェイや大阪の新世界で感じられるあの雰囲気に近い。歩きながら通路沿いの店々を見渡すと、カバン、スーツケース、サングラス、帽子、時計、ゴルフ道具、サッカーのユニフォームなど、成人男性が好むアイテムは大抵ここに並んでいる。むろん全部偽物だ。

やつれた中国人店員の話す日本語も小慣れていて、通り過ぎるこちらには目もくれずに、タブレットで麻雀を打ちながら「いらしゃいませお兄さん、カバンあるよ、時計あるよ、見て見て」などとめんどくさそうに呼び止めたりしている。

 

別にここで何かを買うつもりはない。なぜこの店に出入りしているのかといえば、それは断れない人に誘われるからなのだが、誘う人の愚痴をここで言うつもりはない。「偽ブランド品を買うこと」が「趣味ではない」というだけだし、知人の趣味を否定するのもまた趣味ではない。そもそも我々一行が訪れなくたってあのビルの営業は続く。なぜなら店員の日本語を育てたのは我々だけではないから。

 

繰り返す。我々だけではない。

そこに言いようのない失望感がある。

 

かの国は豊かだ。例えばスマホメーカーは大卒新人に1千万円の年俸を払うし、また驚くことに、外車のCMで高級車を乗り回してるのはみな若者だ。日本だったら軽自動車のCMに出てるようなアクターの年代(=購入層)が、海の向こうじゃメルセデスアウディを買っている。少なくとも、メーカーはミレニアル世代に向けて広告を打っている。残念ながら、日本では見かけない。

 

一方で貧富の差も激しく、となりのトトロの冒頭に出てくるやつよりひどい、およそ車とは言えない車も走ってる。家も車も給料も生活も全然違う。そんな彼らだって、一攫千金を夢見ていつつ、足元では少しずつ豊かになっている。

 

そんな背景の中で日本人は、今日もホンメイルーのデパートで冴えない中国人に日本語を教えてしまっている。持たざる者にみすみす迎合し、自らも持たざる者となってはいまいか。高々10元(約170円)や20元を値切って一喜一憂してはいまいか。そういう類の失望だ。

 

「もっと豊かになって、もっといい暮らしがしたい」と思うことを抑制している風潮を感じている。たまたま自分の周りがそうなのか、それともずっと前から皆が思っているのかは分からない。だから当面の個人目標として、もっと金を使い、もっと世の中を豊かにしていこうと思ってる。できる範囲で実践もしている。例えばあのデパートでは買わないとか。

 

生まれた世代のせいで、あいにく経済が成長するということを味わったことがないけれども、幸い隣国でそのリアルを垣間見てしまった。一度知ってしまうと、なるほど人間らしく、欲が出る。

 

欲を出していきましょう、ケーザイ。