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江戸時代と明日の朝

「火事と喧嘩は江戸の華」なんてのはお江戸下町の文化であって、もしここ平成東京で「趣味は火事を見ることです」なんて口を滑らせようもんなら、その瞬間から不審者を見る目で蔑まれるのは火を見るよりも明らかである、ものが火事だけに。

 

ところが人間、高々200年や300年ではそうそう変われないものらしく、「火事と喧嘩はー」の文化は、地下に潜りひっそりと、しかし確かに都民のDNAに脈々と受け継がれているのではないか、というのが今日わかった。

数年に一度の大雪だ。

 

江戸時代の裕福でない大半の町人は長屋に住んでいて、もちろん借家だった。今の都民だって、若い労働者は親元か、アパートやマンションに住んでいる人がほとんどだ。念のため総務省の統計を調べてみると、20代前半の持家世帯率は4%、20代後半は11%、30代前半でも3割を切っている(2013年)らしい。

 

つまり江戸の町人や平成の都民の多くは、家や土地や田んぼや畑など、不動産を持っていない。農家や資本家との違いはここにある。

 

したがって火事で町が焼けようと自分の命さえあればやっていけるし、天災が降りかかろうとも心配する田畑がない。むしろみな雇われの労働者なので、雪などで交通が麻痺し、会社が休みになることをこっそり望んでいる。これは江戸と東京に共通する、「失う物なき人々」のみが持ちうる特権なのではないだろうか。

 

だから都民に対して「たたがこれしきの雪で」や「定期的に降るのだから適切な準備を」などと指摘するのはややもすると的外れで、我々都民はこういう適度な「非日常」を楽しんでいるのかもしれない。いや、皮肉めいて「華」などと呼びながらも、否が応でも楽しむ心持ちこそ最適解なのだと江戸の町人は見出したのだ。

 

もちろんこの「適度な」非日常が、多くの見えない努力の上にのみ成立しているということをしっかりと感謝すべきだろう。それでも持たざる私は「雪と運休は首都の華」などと吹聴しながら、明日の電車が始発から全てストップしていることをたしかに望んでいるのだ。