SHOMONA

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歴史的選択

取捨選択が絶望的に苦手だ。

二者択一のシーンが来ると、きちんとどちらかひとつを選ぶ事が出来ず、この二つをどうやって両立してやろうか、ばかり考えてしまう。あるいは、どちらも選べずに、結論を先送りにしてしまうことも多い。

大抵の場合、その場はひとまずそれでやり過ごせるし、自分の判断に満足もするのだけど、長い目で見た場合、結局どちらかを選んだときに得られる効用の方が大きかったりする。そうと気付いた時にはもう遅いけど、あまり反省することなく、同じ失敗を繰り返している。

 

よくよく考えれば、歴史とは決断だと思う。

新しい王様も、戦争の始まりも終わりも、あらゆる法律も、全てが当時を生きる人によって決断されたことだ。決断されてないことは、教科書には乗らない。だから、歴史とは決断の積み重ねに他ならないはず。

 

さて、生まれてから死ぬまでの歴史を自分史と捉えると、何にも決断しない人間の年表は、積み重ねる歴史がないため、きっとスッカスカになってしまうのではないだろうか。

決断は苦しい。喜怒哀楽を伴う。失敗もする。決断するごとに生じる苦しみと、人生を閉じる時に完成するスッカスカな年表のどちらを嫌うかは人それぞれなので結論は避けるが、これらがトレードオフの関係であることに気付き、しばらく忘れたくないのでここに記しておく。