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サッカー日本代表応援ブログ

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サッカーワールドカップ日本代表の試合を翌日に控え、国中のサッカーファンと共に興奮と喜怒哀楽を分かち合おうとしている日本人がここにもまたひとり、他でもないTactini。

今月は海外出張が2回もあり、勤務日数の半分近くを中国で過ごすのだが(このブログの大半も機内で書いた)、日本代表の3試合だけは無事に東京で見られるようなスケジュールを組めたのは奇跡としか言いようがなく、サッカーの神様には大きな借りを作ってしまった。今後も細々とブロガーの真似事をして、サッカーの草の根的普及活動に勤しむことでコツコツ返していこうと思う。

ちなみにブログと言えども侮れなくて、最近では「ただのファンにしては戦術理解の完璧さがヤバすぎる」とその内容に目をつけられ、オーストラリア在住の一般人がドイツの有名チームのコーチになっちゃったりもしてる。正直とても羨ましい。こちとらどんなに最新の戦術を披露したとしても「英語がヤバすぎる」という理由で読まれもしない。

 

さてそのブログのお題をツイッターで相談したところ、「歴代日本代表のフォーメーションと戦術について書いて欲しい」とのことだったので、過去ワールドカップに出場した日本代表チームについて、自分で見聞きしてきた範囲(≒独断と偏見)で、なるべく分かりやすく簡単に書いてみようと思う。

 

 

98年 フランス大会

 

日本が初出場した大会。ジダンの全盛期。

年齢も一桁だったので、残念ながらまったく覚えておらず、唯一ぼんやり記憶にあるのは大会敗退後に骨折して帰国したゴン中山を報道するワイドショーの映像だけ。しかも、あれがサッカー選手だったと気付いたのはだいぶ後になってからだった。なのでよく分からない。

大会予選に岡田武史が監督に変わってから、チームがひとつにまとまったと聞く。本戦では良いところを見せられなかったが、初出場は岡田監督の手腕だと結果が示している。

 

《戦術と結果 まとめ》

岡田武史さまさま

 

 

02年 日韓大会

 

我が家が家族総出でサッカーにどハマりしてた時期。朝も昼休みも放課後も土日も校庭でサッカー、スタジアムでも観戦。愛読書はポケモンの攻略本とヨーロッパサッカー選手名鑑で、好きな選手はイタリアのクリスチャン・パヌッチ。ワールドカップも家族で見に行くことが出来て、グループリーグのスウェーデン対アルゼンチン(バティストゥータの代表引退試合)を観戦した。

さて日本代表についてだが、トルシエ監督率いるチームは大会初勝利と初グループリーグ突破を果たす。初戦のフォーメーションは下記の通り。

 

《大会初戦フォーメーション》

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引用元 http://www.atsushi-masuda.com/football/

(本稿では戦術の画像をこのサイトからありがたく引用させて頂いた。過去あらゆる日本代表の試合のスタメンが記録されていて、少し狂ってないとこういう収集は出来ない)

 

《概要》

トルシエは当時の日本人にとってあまり馴染みのない3バック、それも「フラットスリー」を採用して、相手のオフサイドを誘うラインコントロールを徹底した。2018年のいまになって思えば、一般的にハイラインの3バックが最も注意すべきは、ゴールキーパーとの間にある広大なスペースに飛び出してくる相手FWだと感覚的に分かるのだが、当時は「フラットスリー」という耳馴染みのないおもしろワードだけが一人歩きしていた気がする。話し合いの結果、選手たちも最後は放棄した。「名前が付いて初めて認知できる」とこの前書いたが、戦術には「なんとなくやってること、偶然うまくいったことを言語化して再現性のあるものにする」側面もあるので、そういう意味ではフラットスリーは後世の礎として犠牲になった。

 

《戦術と結果 まとめ》

外国人監督に歯向かい自分たちのサッカーを取り戻す

 

 

06年 ドイツ大会

 

《大会初戦フォーメーション》

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《概要》

理屈っぽい前監督に懲りたのか、割とニコニコしていて声が少し高いジーコを器用。戦術はいつもひとつ「選手の自主性に任せる」で、それぞれヨーロッパで活躍していた中田・稲本・小野・中村の4人は黄金の中盤と呼ばれていた。誰が守備してたんだ。

で、結果は惨敗。中盤は全く機能せず、失点を重ねてしまった。オーストラリアをライバル視するようになったのはこの大会で負けてからだと思う。格下相手には個人技が通用していた側面もあったが、同等以上になると「当たり負け」していたし、劣勢を挽回するアイデアがなかった。ムァキめがけてロングボール蹴るとかそんな感じ。今の本田圭佑、この時の中田英寿に重なる気がするんだよなあ。

 

《戦術と結果 まとめ》

選手の自由なアイデアに任せて失敗

 

 

10年 南アフリカ大会

 

《大会初戦フォーメーション》

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《概要》

ジェフ千葉をめちゃくちゃ強くしたイビチャオシム監督を引き抜いて代表監督の座に据え、オシムチルドレンが旋風を巻き起こした。前述のムァキ、エジルのお兄さんこと羽生、レスター阿部などが「考えて走るサッカー(これも今になって思えば至極当たり前のことだ)」を体現し、今度こそ日本代表は変わるかに思われた。

しかし残念なことに、オシムは病に冒され、代表監督を続けられなくなった。どうしよう。そこでこの人、困った時の岡田監督である。今思えばこの依頼時に、後々のサッカー協会の重役ポジションを保証されてたのだろう。W杯後は悠々自適に中国で監督をやったり、今治で会長をやったり、第一線を退いて好きなことをしていたように思う。羨ましい。

さてその岡田監督の戦術は、とにかく守って走る。中盤から後ろを手厚くし、両ウイングの体力と本田のキープ力に頼って攻める、言わば弱者の戦法だった。直近の日本代表監督ではもっともはっきりと「現実路線」を敷いていた。その甲斐あってか、日本は2大会ぶりの決勝トーナメント進出を果たした。

 

《戦術と結果 まとめ》

岡田監督さまさま②

 

 

14年 ブラジル大会

 

《大会初戦フォーメーション》

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《概要》

前回大会の「成功」を受け、さらに発展すべくイタリアからアルベルト・ザッケローニ監督を招へい。本田・香川・長友が全盛期を駆け抜けていたのはこのあたりで、ザックジャパンは成功を収めるかに思えた。めちゃくちゃ期待も高かった。しかし、結果は残念に終わった。ザックの持ち込んだ守備戦術こそ新鮮で、吉田や槙野はこの人のおかげでかなり成長したのだが、攻撃面がノープランだった。色々試したが結局ボールを持ちたがる選手たちの自主性に任せる他なく、結果を出すことはできなかった。

 

《戦術と結果 まとめ》

選手の自由なアイデアに任せて失敗②

 

 

18年 ロシア大会

 

大会そのものはこれから始まるので何も書けることはないが、西野監督の就任した経緯を一言でまとめるとこうなるだろう。

 

《まとめ》

外国人監督に歯向かい自分たちのサッカーを取り戻す②

 

 

さて、お分かり頂けただろうか。こんなにもはっきりと歴史が繰り返すことを。ここ20年間でサッカー日本代表は「口うるさい外国人監督の言うことなんか聞かない」「甘やかしてくれる外国人監督と心中する」「岡田武史」の3通りしか経験していない。なんということだ。しかもだ。今年3月に岡田武史S級ライセンス日本サッカー協会に返上してしまったので、伝家の宝刀「岡田武史」カードは金輪際切れない。おれたちは一体どうしたらいいんだ。教えてくれオシム!教えてくれアギーレ!絶対に負けられない戦いに負け続けてきたおれたちに明日はくるのか!頑張れニッポン!コロンビア戦は6月19日(火) 夜21時キックオフ!!