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なぜサッカー選手は大袈裟に痛がるのか?

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日常生活とワールドカップを両立すべく犠牲となった睡眠時間の積み重ねが、お肌の調子に現れてもう若くないことを感じる今日この頃、皆はいかがお過ごしか。

タイムラインも連日サッカーで盛り上がったりしていて、興味がない人からすればハタ迷惑な一ヶ月間なのだが、そういう人すらも「私がサッカーを好きじゃない理由」を呟いたりしているから面白い。

 

さて、その理由の一つに「少し押されたくらいで、大袈裟に倒れる選手が嫌い」というようなことを挙げる人が少なからずいる。身の回りにもいるし、インターネットでもよく見かける。

確かにワールドカップを見ていても、押されてもいないのに倒れる選手や、少し触れただけなのに拷問中のような顔で喚く選手、ネイマールやマルセロが目につくことは否定できないし、見ていてスカッとするものではない。わざとらしい演技を見透かされ、ネット上でも「劇団員」などと揶揄される彼らは、なぜわざわざこんなことを繰り返しているのか。痛がることにどんなメリットがあるのか、考えてみる。

 

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「えっ?お前痛くても倒れないの?ドM?笑」

 

マルセロがそう言ってるわけではないが、おそらく劇団員の言い分はこうだ。

①相手選手にカードを出させて優位に立ったり、ゴールを決めて勝ちたいから。痛がるということは悪質なファールを受けたのだろうと審判が判断し、自軍に有利な判定が下される可能性があるから。

②「嘘をつく」ことの善悪に関して、プロフェッショナルたるもの勝つためには手段なんて選んでいられないし、騙される方が悪い、という共通観念があるから。また相手をイライラさせることもできるから。(そういった社会通念をブラジルでは「マリーシア」と呼ぶ)

③「痛み」という個人的な感覚を第三者が客観的に推し量ることは難しく、従って「本当は痛くなかった」ことを証明できないから。

④「ファールでもないのに、審判を欺くためにわざと倒れた」ことに対してはイエローカードの対象となるが、「必要以上に大袈裟に痛がる」ことに対して、痛さの嘘がバレたときにこれを裁くルールは存在しないから。

⑤自分も味方も疲れているし、ファールを誘ってプレーを止めて少し休憩したいから。

以上のような理由から「相手との接触があったとき、必要以上に大袈裟に痛がる」という行動をとることについて、ルール上のデメリットがない。(せいぜい相手サポーターからブーイングを受ける程度だ)

 

ところが、である。今大会から「ビデオアシスタントレフェリー」という、映像判定だけを行う審判が追加された。主審の肉眼は誤魔化せても、四方八方から撮影してる映像はどうだろうか。そもそも、テレビで見ていて「痛がりすぎ」と思うくらいなのだから、プロの審判がビデオを見たらどう思うだろうか。鬼に金棒、審判に映像である。

 

2018年の時点では、ワールドカップや一部の国内リーグなどの主要な大会でのみ採用されている方式だが、いずれ各国のリーグ戦などに普及していくはずだ。するとどうなるか。審判の目は騙せても、映像で再確認すると「なんだ、ファールじゃないじゃん」という出来事が急増するはず。ゆくゆくは「マリーシア」を行うメリットが減り、大袈裟に痛がる選手は白い目で見られるだけになるかもしれない。

 

そう考えると、映像判定が進むほど、審判を騙したり大袈裟に痛がったりする選手は減るのではないか。朗報である。サッカーに興味がない人も、少しは理解をしてくれるかもしれない。

 

ビデオアシスタントレフェリーは審判の判断を、サッカーを、少なからず変えるはず。19世紀に生まれたフットボールは、21世紀なっても進化を続けている。いまは嫌いな人も、そのうち好きになるかもしれない。その可能性を持っているからこそ、まだまだ目を離せない。