SHOMONA

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医療保険と縄文時代

「ほけんの窓口に通いつめていたら、いつの間にか縄文時代にハマっていた」
という趣旨のツイートをしたところ、意味わかんねえよふざけんなとお叱りを頂いたので、ちょっと真面目に書く。論理の飛躍が前提だ。君はついてこれるか。


そもそも、保険というものほどあくどい不安商法は無い。「これまで通り生きられませんよ?」「死んだら家族が困りますよね?」なんて言われて、不安にならない人の方がおかしい。本当に人々の不安に寄り添うなら、掛け金と保険金のトータルはニアイコールになるはずなのに、保険会社はきょうびなお成長し続けている。必要以上に煽って、必要以上に回収しているに違いない。素人にそう思われても仕方ない。保険関係の仕事している人ごめんね。

それでもまあ、やむを得ず、ベストではないけれどベターな落としどころとして、人々は医療保険や生命保険に入る。5年後、10年後、50年後、あるいは明日の自分を想像して、「この金額で健康を買ったと思えば安い」などと言い聞かせながら、保険に入る。おれも今年中には決めねばなと思っている。みなそんなもんだと思う。


そうやって保険商品を選ぶとき、もっとも試される己の能力は"想像力"だと実感した。未来に生きる将来の自分が、一体どこで何をしているのか、想像を巡らせた。東京?日本?それとも知らない国?家族は?子供は?老後は?まじでひとつもわかんねえ。俺の未来、いまだに可能性有りすぎる。総理大臣かもしれない。

でもまあいくら真面目に考えても想像の及ばない理由のひとつが、一般人の頭では社会そのものの変容を捉えきれないからだと思う。
俺と同じように、社会も生きている。社会規範、社会常識、通俗的なものは、ゆっくりとしかし時々刻々と変わっている。働きかた改革にせよLGBTにせよ、いま世論を賑わせている事柄ひとつとっても、昭和の常識が○○(次の元号が入る)の非常識となるのは火を見るよりも明らかだ。世の中は変革に溢れている。ツイッターだってここ5年くらいで全然変わったし。

じゃあすべてが変わるのか?この世の中の常識のすべてが変わってしまうのか?否、すくなくとも平成生まれの人生スパンで、死ぬまでに今の身の回りの全てが変わってしまうということは考えにくい。たとえ万が一、ここが中華人民共和国の属国になったとしても、日本人は日本人であり続けようとするはずだ。有名な慣性の法則である。


ではその日本人を日本人たらしめている社会通念とは、いったい何だろう。昭和の常識か、江戸発祥の文化か、あるいは平安貴族に端を発するのか。ここからが本題なのだが、俺はこの日本人らしさは、縄文時代にすでに形成されていたんじゃないかと睨んでいる。

現在確実に分かっていることとして、日本列島には5万年前から人が住んでいて、縄文時代は1.6万年前から始まった。つまり日本人は、1.6万年前から土器を作っている。これは世界の中でもすげえ古い。古すぎてびっくりするけど、これはマジ、マジかどうかは上野の国立博物館で縄文展がやっている(今週末まで!)ので、自分の目で確かめてほしい。

 

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自分の目で確かめに、俺も行ってきた。本当に衝撃的だった。縄文土器の迫力がすごかった。子供が入れるほどサイズが大きいのに、ディテールにものすごくこだわっている。文様のバリエーションも豊富だ。「部分的にあえてシンプルにすることで、一番目立たせたい装飾個所を一層引き立たせる」みたいなデザインの足し引きが、しっかり計算されているように感じた。文様そのもののデザイン性の秀逸さだけでなく、それを作るに至った技術の蓄積、社会の文化的背景にまで思いを馳せずにはいられない。マジですごい。何もないところからいきなりこんなものが生まれるはずがない。(テレビの誕生と共にエヴァンゲリオンが放送されるだろうか?)数千年、数万年の蓄積の上で生まれた土器を、さらに数千年後の人間が見ても感銘を受ける。その文化の根底にある何かが、過去と今と未来を連綿とつなぐカギなのではないか。そのカギがなんであるかは未だ分からない。分からないからこそ知りたいし、知れば少しは未来が分かる気がする。そんな思いで縄文時代にハマった。

ちなみにいま生活しているこの国で、言葉や地名は縄文時代からずっと続いてたりする。稲作を受け入れなかったアイヌや漁師の世界に、今でもそれが生きているっぽくて、最近そんな本ばかり読んでいる。また何かわかったらここに書く。もういっか。うるさいか。

 

長々と書いたが、縄文文化から平成まで、背骨が1本通ってるとしたら、その地続きに未来があるはずなので、それが分かれば、保険を考える上で必要な「未来」も、多少は見通せるだろうね、ということが言いたかった。

 

 

という訳ではなく、本当は何が言いたいかっていうと、入れ墨は縄文文化にとって"常識"だったから、りゅうちぇるには引き続き日本文化の継承にご尽力を賜りたい。