SHOMONA

サッカー/ギター/歴史/和食/iPad/飲酒

ライブレポっぽい話

「MP4」という拡張子がある。

1つの箱の中に仕切りがあり、ビデオデータとオーディオデータをそれぞれの部屋で保存することができ、それらをせーので再生することによって「動画」となる、らしい。技術的なことはさっぱりなので、そう認識するに留まっている。これはデジタルの話。

かかる構造は、デジタル機器だけでなく、人の脳みその中にもあるような気がする。試しに自分の脳を覗いてみれば、大多数のオーディオデータはそれ単体で存在しているのだけど、一部のデータは1つの箱の中で特定の「経験」「記憶」「思い出」などとセットで保存されていて、これらをせーので再生するとめちゃくちゃエモくなる。

 

メタ的な文脈が付随したオーディオデータは、そのまま他人のHDDに移すことが出来ない。たとえ似たような経験をした他者同士でも、まったく同じ記憶データを持っているわけではないので、やはり正確に共有するのは難しい。文脈を持ったオーディオデータは、自分自身の心のうちにのみ秘めた唯一無二の存在だ。

 

だから赤の他人が、僕の心のなかの文脈を忖度して、僕好みの、僕にグサグサ刺さるプレイリストを作るなんてのは、本当に稀有な事象だと思うのだけど、幸運にも先日そんな経験が出来るライブに行く機会を得た。

 

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2017年11月23日。

ACIDMAN主催 "SAITAMA ROCK FES."

僕だけに限らず、10代からロックミュージックに親しんでいる同世代なら、間違いなくピンポイントで直撃するタイムテーブルだ。

 

どのバンドの演奏を聴いても、懐かしい記憶と込み上げてくる感情が付きまとう。

たとえば日韓W杯で知ったDragon Ash、初めて買ってもらったCDラジカセで聞く深夜のFMから届いたストレイテナー、そんで最早言うまでもないRADWIMPS、軽音部の先輩が演奏するめっちゃカッコよかったELLEGARDEN、負けじと同期が見せたTHE BACK HORN、大学のバンドサークルで鉄板だったASIAN KUNG-FU GENERATION。それらは自分の人生のチェックポイントのように点在していて、ライブの間ずっと浸っていられた。自分だけが経験した文脈の中で鳴る楽曲は、さながら同窓会のようだった。さすがに全バンドの全曲を知っている訳ではなかったが、最近追えていないバンドの新譜などはまるで卒業以来会ってない旧友と再会して尋ねる「今なにしてんの?」へのアンサーそのものだ。今こんなことしてんだぜ。そっか、変わんねえな。元気そうでなによりだよ。

 

楽しかった同窓会が終われば、また日常がやってくる。彼らにもやってくるし、僕にもやってくる。あの日のさいたまスーパーアリーナで久しぶりに交わった点は、ふたたび互いに遠ざかる無数の直線として進んでいく。

けれども彼らの曲と、僕の記憶とが一緒に格納されたデータの数々は、もう忘れられないから絶対に消えない。楽しい同窓会だったし、また改めて飲みに行こう。新しい曲も教えてくれ。

そんでまたせーので再生しよう。