SHOMONA

サッカー/ギター/歴史/和食/iPad/飲酒

東京五輪まで2年を切りましたね♪

「冠婚葬祭」という四字熟語がある。

 

実はこの熟語を構成する四文字のひとつひとつが、それぞれ人生のイベントを表してるということを、恥ずかしい話だがごく最近知った。てっきり、冠婚(結婚などのめでたいこと)と葬祭(葬式などのかなしいこと)、というニュアンスだと思っていたが、違うらしい。

 

曰く、『冠』は成人式(昔でいう元服。むしろこちらが本来の意味)、『婚』は結婚、『葬』は葬式で(この二つは読んで字のごとくだ)、そして最後の『祭』は、盆や法事を指すらしい。

大人になり結婚し、死ぬというだけでは終わらずに、故人として偲ばれたり、あるいは自身が霊になってあの世から帰ってくるまでを引っくるめて、冠婚葬祭である。またひとつ賢くなってしまった。

 

さて。ついにあの東京オリンピック2020の開幕まで二年を切った。切ったのだが、おれはこの東京オリンピックという国家的イベントを、冠婚葬祭の『葬』だと思っている。これは他ならぬ日本という国の葬式だ。生前から長い時間とたくさんの人手をかけて準備をし、盛大で煌びやかに行われる人生最後にして最大のイベントだ。その証拠に"旧"国立競技場の跡地には、急ピッチで古墳の建設が進められているのが、JR中央線に乗るとよく分かると思う。

 

かかる話は別に皮肉でも嫌味でもなく、リベラルやアナーキー的な立場でもなく、本当に"なんかそんな感じがする"というだけだ。だって日本国、いまにも死にそうじゃん。ヨボヨボじゃん。死に体じゃん。

 

終戦とともに生まれ、一度目の東京オリンピックを経て成人し、バブル崩壊とともにリタイアした「日本国」は、平成という余生を気ままに過ごし、2020年には齢75歳となる。戦後生まれの平均寿命が当時50歳だったことを考えれば、よく永らえたではないか。もうこのまま成長することはないし、むしろ寿命すら見えている。

義務教育の学び舎にクーラーひとつ付ける金がなく(精神論にすり替わるとき、その問題の本質は予算の不足だ)、増加する震災や天災から自衛し切れず、労働人口は減るのに老人は増えて、次の産業は育たず、こんな環境でなおも明るい未来を求める方が狂ってる。

 

ならばいっそ、ここらでコロッと、死んだことにしてしまってはどうか。

 

オリンピックは盛大に、そして大成功して欲しい。大会としても、参加する選手としても。好きな競技には足を運びたいし、そのために東京に住んでいるといっても過言ではない。世界のいろんな国からいろんな人が来て、喜怒哀楽と少しのお金を落として帰っていく。東京オリンピック2020は平和の祭典として、最後まで無事に執り行われてほしい。

 

それはそれ、これはこれ。

 

死んだあとは時々、残されたみんなで集まったら、昭和と平成のことを思い出して、経済成長期の頃はよかったね、いやいや平成も案外楽しかったよ、なんて語らってみるのはどうだろう。あるいはそのどちらも知らない新しい世代の活躍を、陰ながら応援するのもいい。なぜならどちらも冠婚葬祭の『祭』そのものだから。

 

とにかく、日本国は死ぬ。そのくらいの覚悟を持っておかないと、こちらの心や体が死ぬ。そんな時代がすぐそこまで来ている気がして、気のせいであってほしい。