SHOMONA

サッカー/ギター/歴史/和食/iPad/飲酒

1年前の日記 2日目

新婚旅行日記の書き起こしは2日目。

今日は観光名所しかない街、首都ローマ。

とにかくずっと食べていたような…

 

 

初日編はこちら

1年前の日記 1日目 - SHOMONA

 

 

4月17日ローマ晴れ

 

 

 

マジで朝ごはんが美味しい。本場の味を知ってしまうと、もう中国のホテルで洋風ビュッフェなんて食べられない。

8時半くらいに出発して、今日は死ぬほど歩いた。

まずスペイン広場。ここの何がスペインなのか分からず、丘の上のオベリスクスマホの翻訳機(あらかじめイタリア語の辞書機能をインストールしてた)をかざすも、ラテン語のため全く通用しない痛根のミス。これ以降、ラテン語問題が常につきまとう。

それから路地をずんずん進みトレヴィの泉に着く。業者が泉のコインをバキュームで器用に吸っていてしばらく眺めた。

Venchiというジェラート専門店で信じられない程うまいチョコレートジェラートを食べる。濃厚とはこのことだ!

 

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昨年銀座にもオープンしたから寄ってみて

 

 


この時点で10時半過ぎ。残りの午前中をパンテオンとナヴォーナ広場で過ごす。

パンテオン、でかすぎ。ナヴォーナ広場、広すぎ。初めて東大寺の大仏を見たときレベルの最大クラスの衝撃と30分おきに出会うので脳が処理落ちし、「大きいねえ」しか言えなくなる。

 


ランチはパスタ。狙っていた店に開店凸するも、休業日を引き当てるこの運力(うんりょく)すごいね。

第2志望の店でカルボナーラとマトリシアーナ(トマトソース)を食べ、そのあまりの美味しさに「今まで食べてきたパスタとは…?」と人生感が変わりそうになる。つけ麺のようなモチモチ、ソースのふくよかな旨み、食べごたえ、何もかもすごい。

 

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進化の方向性はまぜそばに近い

 


タクシーでコロッセオへ。ローマの歴史を予習していたのでガイド無しでも楽しめた。自撮り棒が活躍する。

凱旋門の足元でひと休み。凱旋門だけで4つくらいあったぞあの辺。王の帰還祝いすぎか。王良かったね。

フォロ・ロマーノで迷子になりながら、二千年前の生活に思いを馳せまくる。道が凸凹なので足の疲れがピークに…

 


メトロを乗り継いでバチカンへ。4時過ぎに着いてカフェテリアでひと休み。少し復活していざクーポラへ。

サンピエトロ大聖堂の丸い天井にあたるクーポラのてっぺんへ、無限に続く狭い階段を登る。「これだけ登るということは、最上階からの眺望はめちゃくちゃ怖いんだろうな…」という先取りした恐怖が、両足を重くさせる。

 


しかし意外にも、頂上は風も少なく人の肉壁も厚く、高所恐怖症でも大丈夫だった。クーポラの内部で天井を見上げた方が怖かった。

ゆるいが国際郵便の絵はがきを書き、大聖堂の内部を堪能してフィニッシュ。バチカンは厳かな国だった。

 

 

 

一担ホテルに戻り、歩いてディナーの店" BACCANO"へ。フォロワーがこの店のバーテンダーとFriendらしく、紹介と予約をしてもらうという願ってもない幸運。つくずく友人に恵まれている。本当に感謝しかない。

バーテンダーおすすめの食前酒を注いでもらい、エビのサラダとカプレーゼ、ボロニア風ミートソースを頂く。

とても美味しいし、サービスが素敵。バーカウンターに移動し、オリジナルカクテルを作ってもらった。手さばきずっと見ていられる。

値引きしてもらった上にタクシーまで呼んでくれた。チップを渡そうとしたがNoと断わられた。Signori Marioは紳士。

 


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こぶしサイズのめちゃうまカプレーゼ

 

 


ホテルに戻ったらサッカーの試合がやっていたが、恐ろしい早さで就寝。

3時頃目が覚めたので、日記を半分書いて再び眠りについた。

 

3日目に続く→

1年前の日記 3日目 - SHOMONA

1年前の日記 1日目

本当に、時の流れとは早いもので、新婚旅行からちょうど1年が経ってしまった。我々は今となってはすっかりああなってしまったイタリアを、南から北へ1週間かけて旅してきた。あの国では見るもの食べるものすべてに驚きがあった。味の記憶なんか昨日のことのように思い出せる。

 

翻って今、ご覧の通りどこにも行けないので、せめて旅行中に毎日書いていた日記を書き起こして懐かしい気分に浸ろうと思う。公開するつもりのない個人的な記録だったので、投稿するにあたって名前などの個人情報は編集するけれど、それ以外は当時書いたままの方がフレッシュなのでなるべくそのまま出す。写真とコメントだけは後付け。

 

そんで、日記はiPadで1日1ページずつ書いていたので、折角だから日付を合わせて毎日アップしてこうと思う。途絶えたらごめん。

 

 

 

4月16日 1日目 ローマ 晴れ

 

 

成田空港で慌ててカツカレーを食べた。登乗まであまり時間が無いからだ。

間が無いのにわざわざカツカレーを食べるというのが、実に我々らしい。

 


飛行機に13時間乗った。これまでの最長が4時間程度だったので、少し不安だったが、足がむくんだ程度で、どうということは無かった。ビビってたエコノミー症候群にもならずに済んだ。

というか、仕事の出張以外で海外に行くの初めてだな...

機内食がとても美味しくて感動した、普段乗ってる中華航空とは大違いだ。

 

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機内で飲んだよく分からない美味いビール

 


無事にイタリアに着き、到着ゲートをくぐると、すぐにドライバーと合流できた。

もう一組の旅行者と4人で、ドライバーに連れられ駐車場へ。

そこで待っていたのは、中に仔象でも飼ってるんか?ってくらい大きなワゴン車だった。

車窓から外を眺めると、当たり前のように外車しか走っていない(当たり前だが)

ベンツ、FIAT、BMW、Jeep、OPELなど...意外とフェラーリって見かけないんだな。

 


ホテルのチェックイン時に、一体何語で話しかけていいものか迷ってしまったが、英語で全然、問題なかったので安心した。俺の英語に問題がない訳ではない。

 


部屋でテレビを付けると、本場のサッカーがやっていた。チャンピオンズリーグだ。時差が無いことに気付く。最高だ。最高だったが同じくらい最高に眠かったので、ぐっすり眠ることにした。

 

 

2日目に続く→

1年前の日記 2日目 - SHOMONA

 

ご報告

またひとつ歳を重ねて、ついに30歳になったよ、というご報告。

 


記憶が正しければ、あんまりネット上で自分自身の年齢を言ってこなかったと思う、ずっと子供でいたかったので…

学生時代からの友達・フォロワーを除けば、そこまで知られてないつもりでいるんだけど、東京に来てから益々インターネットと実生活の垣根が無くなってきたので、もう今更なにも包み隠すことないじゃん!ということで解禁。

 


昔から恥ずかしがり屋で隠したがりな性格のため、もっと素を出せよと言われた経験数知れず、それでも最近は少しずつ克服してきたと思う。ビデオ通話しながらオンライン飲み会なんて、前の自分からは考えられなかった。でもやってみたら楽しいじゃん、こういうのもいいね、もっと自然な感じでインターネットしていくか、という気持ちになった。

 


いろいろな要素でリアルとインターネットを同期させていく流れで、思い切ってアイコンも似顔絵にしてみた。ぼくくんの描き下ろし新作。似せ方とデフォルメのバランスが凄い、さすがだ。本当にありがとう。

アイコンはほっとくと歳を取らないので(それがインターネットの良い所であるのは間違いないけど)、節目にアップデートしていくというのはとてもアリだと思った。

 


これからも末永くお付き合いください。

お散歩

今日は普段より少し長い距離を、一人で歩いてみた。

 

 

日常生活における「移動」はただただ無駄な時間でしかないので、手持ち無沙汰の余白を埋めるようにツイッターを見たり、スマホゲームをしたりしながら最短ルートを直行するのだけど、今日は「散歩」がしたいと思い、昼と夜に3kmずつ歩いた。おかげで歩きながら色々なことを少しずつゆっくり考えることができた。足の爪が痛くなったが、そんなのは必要経費だ。

 


東京を歩くのが大好きだ。

東京は、誰でも気の向くまま自由に歩くことが出来る。ここには本当に多くの人がいて、一人ひとり自由意志を持ち、好きなように歩いている。右へ行ったり、慌ててもと来た道を戻ったり、立ち止まって酒を飲んだり、杖をついて一歩ずつ踏みしめたり、路上で歌ったり、歩きながらキスをしたりしている。そしてそれらは、誰の気にも留められることなく過ぎ去っていく。

地方都市にありがちな、丘の上のニュータウンで生まれ育った我が身からすると、東京には本当に信じられないほど自由がある。たとえば目的もなく歩くことができる。歩きながら今日の昼飯を探すことができる。地元でそんなことをしている大人は一人もいなかった。

 


「逍遥」という言葉も好きだ。

"しょうよう"と読む。大辞林には「気ままにぶらぶら歩くこと」とある。まさに今日してきたことだ。

母校の応援歌にあったので単語は知っていたが、大人になってから意味を知り、好きな言葉リストに入った。自分の行為が古めかしい漢字で定義されると、ものすごい権威に肯定されている気分になるのは、自分が体制的な人間だからだろうか。

逍遥という言葉にロマンを感じるのは自分がただ散歩好きだからというだけではなく、アフリカで生まれたホモ・サピエンスユーラシア大陸を経て南アメリカの南端までたどり着いたのは「気ままに歩く」ことが得意だったからではないか、という荒唐無稽な妄想も可能にしてくれるからだ。他のどの動物より遠くへ歩きに歩いて、ついに地球を征服してしまった。

 


これからもしばらくは東京に住みながらどんどん散歩をしていきたい。という気持ちと同時に、東京などという狭い土地なんかに縛られずいろいろなところへ飛び出して遠い先祖の追体験をしてみろよ、という矛盾した心の声も聞こえる。どうだろう。どちらも捨てがたい。取り敢えず、もう少し歩きながら考えてみることにしよう。

人生最古の祈りの記憶

熱が出た。

久しぶりの高熱だった。

 

インフルエンザにかかったのは4年半ぶりだ。前回の罹患をきっかけに喫煙の習慣を辞めたから、よく覚えている。熱にうなされた2015年の1月といえば、当時はまだ福岡に住んでいたどころか、妻にも出会っていなかった。ずいぶん大昔のように感じる。

 


大昔の話をもうひとつ。まだ4〜5歳の頃の話。本当の大昔だ。

場所は仙台。弟が生まれて数年が経ち、12月も終盤にさしかかるその頃、熱が出た。38度はゆうに越えていたように思う。当時は体が弱く、このくらいの発熱は日常茶飯事だったが、その日ばっかりは事情が違った。目前にクリスマスを控えているのだ。

疑うことを知らない少年は、熱だろうと何だろうとサンタさんはやって来ると思っていた。そこに心配の余地は無かった。最大の問題は、チキンとケーキだった。1年間心から楽しみにしていたローストチキンとクリスマスケーキを、今年は食べられないかもしれないという不安が、病床の幼稚園児を襲った。我が家では風邪の日はお粥だった。天と地ほどの差がある。ありすぎる。早く治さなければ!

 


焦りに駆られた少年がとった行動はシンプルだった。祈ったのだ。思い返せば人生最古の「祈り」の記憶だ。祈るといっても、ミッション系の幼稚園に通っていたわけではないから、神さまの存在はまだ知らなかった。サンタクロースですらその対象では無かった。何に祈ったかといえば、チキンとケーキ。チキンとケーキそのものに祈った。食べきれないほど大きいチキン、丸くてイチゴがたくさん乗ったケーキを頭の中で思い描き、対象物そのものに「風邪が治って食べられますように」と念じた。なんとアニミズム的であろうか!ラスコー洞窟に描かれた大量の動物の壁画も、実はこれと同じような動機じゃないかと睨んでいる。

 


寝付けないせいもあって、祈りは一晩中続いた。信心深いわけでもなんでもなく、ただの食い意地の強いガキでしかないのだが、それでも“神さま”は見ていたのか、翌朝には奇跡的に平熱に下がっていた。以降この少年に「信じるものは救われる」マインドが根付いたのは言うまでもない。神さまの世界にもこういう初回キャンペーンみたいなのがあるのだろうか。

 


完治してから食べるチキンは格別だった。ケーキはどんなケーキよりも美味しかった。今でもよく覚えている、幸せなクリスマスだった。とても良い話のように思えるが後日談があって、少年の看病にあたったばかりに風邪がうつりクリスマス当日に寝込んでいる母親のことは見向きもせず、こいつはこれみよがしの大声で美味しい美味しいと叫んでいたらしい。なんというクソガキだろうか。個々が個別の神様に勝手に祈るからこうなるのであって、つい一神教の必要性に思いを馳せずにはいられない。

 


梅雨も明けるというこの季節に延々とクリスマスの話をしてしまったが、そもそも季節外れのインフルエンザにかかってしまったことに問題がある。熱こそ下がったが、相変わらず喉が痛い。チキンもケーキも見当たらないが、この場合どの神様に祈るべきだろうか。

結婚について

2019年3月16日。

両家が東京に集まって、家族だけの結婚式を開く。いわゆる家族婚なので、やろうと思えばいくらでもフランクに執り行うことはできるのだけど、結局のところ参加者は緑と光に包まれた由緒ある式場に集まり、神妙な面持ちで、皆が結婚式らしい格好を粧し込んで挑むことになった。そうしたいとお願いしたから。

 

さて、これを書いている今は結婚前夜

心を落ち着かせて、よく考えてみる。考えるというより、今の気持ちをもっとよく知っておきたい。いま自分はどんな気分で、何について思いを巡らせ、これからどうしたいと思っているのか。いずれ忘れてしまいそうなので、書き残してみることにした。

 

小さい頃からぼんやりと、大人になったらそのうち結婚するものだと思っていた。これは特に男性に多い気がするけど、子供の頃にぼんやり想像していたライフイベントのイメージを、全くアップデートしないままそこそこの大人になってしまった。具体性がない。「なんとなく結婚して、きっと子供を育てるんだろうな」というボンヤリした未来と、自分が今置かれている人間関係、出会い、仕事、住居、貯金などがリンクしない。なんならその"ボンヤリした未来"を実年齢が追い越しても、本人は気付いてない可能性がある。自分自身もそういうところがあった。

 

もう一つ、自分の身勝手なところとして、特定の誰かひとりとだけつるむのが苦手だった。人間関係は浅く広く、お互いに傷付け合わないギリギリの間合いを取り続けるクセがあった。というか、相手どうこうではなく、自分自身が傷付いたり悲しんだりすることが何より嫌いで、そんな目に遭うようなリスクは未然に防いでいた。下手に告白してフラれるよりも友達のままの関係を続けていたいと思う、そんな性格だった。

 

こんな自分だからこそ、偶然出会った女性と意気投合してすぐに付き合い、瞬く間に結婚まで至ったのは一体なぜなんだろう。「そういう運命だったから」というありきたりな答えしか浮かばない。とはいえこれまでボンヤリしていた分、望むべき未来へ慌てて急速旋回し、どうにか東京で今日という日を迎えている。それも含めて「運命」だとしたら、この人生は相当物好きなストーリーメーカーが担当しているに違いない。当分飽きない。

 

そういえば最近、昔に比べて涙もろくなったり、老人から道を尋ねられたり、ひとに愚痴を聞いてもらったりする機会が格段に増えた。これらには関係があるのかもしれないし、無いかもしれない。一つ言えるのは、確実に何かが変わっているという事だ。いずれは色々な事が変わっていくだろう。自分とはこういう人間だという思い込みに縛られない方がよさそうだ。

 

思うところを訥々と書いてみた。人生に具体性がなく、傷付くことが嫌いで、いつもヘラヘラと生きてきたが、妻との出会いを機に色々な事が良い方に変わり始めていることが分かった。つくづくすごい人と出会ってしまった。これからもずっと、ゆるやかに、なるべく良い方向に変わり続けていけるように、2人で一生懸命生きていきたいと思う。

 

 

 

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「就職活動」をもう一度考えてみた

 

 

あ~~~~~~~~~~~~~~~〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
た〜〜くさん給料が欲しいな~~~~~〜〜〜〜〜〜〜あれっ?!

 


大変失礼。もうブログが始まってるとは気付かずに、冒頭から心の声が漏れてしまった。非常に申し訳ない。

しかし、だ。思わずこんな心の声も漏れるほど、こんなに手取りが少ないのは何故なんだろう。こんな金額で将来やっていけるのだろうか。どうしてこんなことになってしまったんだ。いったい何がいけなかったのか。と何度自問自答したところで答えは明確で、「薄給の会社に入社したから」だ。転職でもしない限り、たどり着く答えは変わらない。仕事自体は楽しいんだけど。

 

ともかく、ではなぜ薄給の会社を選んでしまったのか。他に選びようはなかったのか。あの時の俺はなぜ就職活動がうまくいかなかったのか。そんな疑問について、学生時代は全く分からなかったけど、社会人としていくらか過ごした今なら、当時と異なる目線からもう一度「就職活動」についてを、紐解けるかもしれない。似たような質問をフォロワーからもらったこのタイミングで、少し考えてみたい。

 

 

 


就活とは


未成年の頃にいくつかパスした進学試験の延長線上と捉えるのであれば、最終レースにあたる「就職試験」はその集大成ともいえる一大イベントだ。就職活動(以下、就活)に対して気負いすぎてしまうのも無理はない。なにしろ一生の給与に響く。

とはいえ、この大きすぎる敵(就活のことです)、その全貌が大きすぎるがゆえに学生からは実態が掴めず、迷える子羊たちにとって疑問や不安も多い。就活とはいったい何なのか、進学試験とどう違うのか。就活を不完全燃焼で終えて社会人となり、今ではこのイベントを反対側から眺める一個人の見解として、その本質を考えていきたい。

 

 

 

 

商品

 

まず就職試験は、高校や大学への進学試験あるいは授業における進級試験と大きく異なる。ペーパーテストか面接か、といった問題ではない。根本的に異なるのは、この試験を取り巻くカネの流れだ。

比較してみよう。例えば大学生は、大学から商品である専門知識を購入する。大学にカネを支払い、日々対価を受け取っている(しばしばその権利を惰眠で放棄しがちではあるが)。
一方で就活生は、誰かにカネを支払っているだろうか。出費といえばスーツやSPIの参考書、そして交通費の類であって、就職情報サイトに課金しているわけではない。では就職情報サイトは有志のボランティアが運営しているのか?もちろんそんなことはなくて、企業がカネを支払って自社の求人を掲載してもらっている。

 

企業はカネを払って学生を購入している。こう書くと人身売買のようだが、その通りだ。優秀な人材を毎年好きなだけ確保すべく、その斡旋会社にずいぶん大きなカネを払っている。カネを払っているからこそ、面接で偉そうな顔ができるわけだ。

スーパーマーケットの生鮮食品コーナーに並ぶ食肉を想像してほしい。肉は食べやすいサイズにカットされ、パッケージに収まり、美味しそうに見える色のLED灯で照らされている。これは食肉加工会社やスーパーが、カネを払ってくれる消費者の好みに合わせて加工している。牛や豚が自ら進んで実施しているわけではないし、鶏が陳列棚の不満を口にすることもない。

就活生も一緒だ。「注文の多い料理店」よろしく様々な約束事を押し付けられ、身だしなみに注意し、ボールペンでエントリーシートを書く。これは学生にとって「社会人のマナー」として教わりがちだが、実際は購入者のワガママだ。出入り口付近に貼りだされた「お客様の声」を忠実に反映しているに過ぎず、それが良い悪いという社会的価値観の問題ではない。

 

つまり、学生にとっての出発地点は、自身が商品であることに自覚的になることだ。

 

 

 


品定め

 

リク○ビやマ○ナビへの愚痴はまだまだ出てくるがこの辺にして、対策の話をしよう。いま本当に取り組みたい事は「自分に都合の良いルール作り」なのだが、それに参加するためにはまず、いまあるルールを守る従順さを見せることも重要だ。

 

そのためにはもう少し、企業側の考えていることをくみ取ってやらねばならない。

就活のシステムに関して、その昔は大勢の学生をごそっと採用して、そのうち一部が戦力になればよかった。(力不足にも関わらずしぶどく生き残った人たちを見たければ、窓際に行くとよい)。その後何度か訪れた「氷河期」と呼ばれる時代を経て間氷期にあたる現在、すっかり学生の数は減ってしまったので、企業は選り好みしてる場合に"なって"しまった。

 

思い出してほしい。多感な中学生の頃は、隣の席の女子から少し優しくされただけですぐ好きになってしまいがちだ。消しゴムを貸してくれたから、とかだ。一方で結婚に切羽詰まって相談所に駆け込む人間が異性に求めるのは、「少しの優しさ」だけで十分だろうか。結婚相手という即戦力を求める場合、大抵の場合で要求は細分化され、より広い市場からぴったりの人間を探すべく、時間とカネを浪費する。この現象と全く同じことが、昨今の就活市場でも言えるのではないだろうか。

そんな企業側の事情も知らずに当時の俺は、箸にも棒にも掛からぬ志望動機で真っ向から体当たりし、幾度となく無様に散っていった。すべてが中途半端だった。

 

つまり、応募した企業から祈られる要因として、学力や知力だけではなく、細かな要求事項に対して、「自分という商品説明」のプレゼンが薄過ぎる、という問題も考えられるのではないだろうか。家具や雑貨を買うとき、自分は何を求めてカネを出すだろうか。機能や見た目、色、店員のセールストーク、そしてもちろん価格。もしかしたら、客自身では気付かなかったニーズすら心の底に眠ってるかもしれない。同じ逡巡が、就活市場でも当たり前に起きている。企業は就活生を、家に持って帰るに値する商品かどうかを比較し、品定めしている。品定めしてもらうのに十分な情報を、学生は開示しなければならないのだ。

 

 

 

 

群れ

 

自分の価値をありのまま、ときには価値以上に見せることができる人間は、比較的苦労せず就職できるだろうし、あるいは苦労に対して見返りが大きい(入社後については問わない)。
そんなこと言われたってねえ、と思うだろう。付け焼刃で身に着くなら誰も困らないし、たとえ全員にこの能力が備わったとしても、戦いのステージがもう1ランク上がるだけだ。無用な殺生はやめよう。得意ではないフィールドにいて、人と違う特別な価値を発揮できないときには、みんなと同じになりすます方がいい。

 

シマウマはサバンナで、イワシは海の中で、それぞれ弱者である。弱者であるがゆえに、群れることが生存戦略だ。何十から何万という数が一か所に集まることで、強者の目を欺く。
社会人になって数年目の昨冬、幕張メッセで就活生の群れを見た。おそらく何千人といた。就職後は地方に赴任していたため、就活生の群れと出会うのはこれが初めてだった。彼ら・彼女らはみな同じような黒いスーツに身を包み、同じような髪形で、同じような鞄を携帯していた。これはシマウマやイワシと同じ、弱者の群れである。"個"であることを際立たせない。

 

あるいは、大型ドラッグストアに並ぶ、壁一面に陳列された日用品。色とりどりの歯ブラシがこれでもかと並んでいるが、俺は自分がどういう基準で歯ブラシを選んでいるのかよくわかっていない。あんなにたくさん置いてあるのに、いや置いてあるがゆえに、「よくわかんないから前とおんなじやつ」を探してしまうのだ。

 

同じ戦法を、弱い就活生は採用するべきだ。イワシと歯ブラシはそれぞれ「選ばれないため」「選ばれるため」に群れをつくっているが、本質は一緒だ。ごく少数の抜きんでている奴は、否が応でも目立つ。もし目立つやつと自分が二人で並んだら、絶対に目立つやつが選ばれるに決まっている。だからそんなやつとタイマンを張る必要はなくて、そんなやつにはせいぜいスイミーの目にでもなってもらえばいい。残りの俺らみたいな連中はとにかく大勢集まって、みなと同じようにふるまって、少しでも採用確率を高めるしかない。当時の俺はといえば中途半端な色で群れの周辺を漂っていたから、側から見ればさしずめ大きな魚のフンだったのだろう。

 

 

 

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群れをつくる個性のない就活生のイメージ

 

 

 

 

まとめ


世の中には必要悪が多すぎる。全体でみれば最適解だからといって、ミクロでみれば負担でしかないことを平気で押し付けてくるが、それでしか回らない社会構造も後押しし、必要悪として世にはびこっている。就活もそんなシステムだ。本当はもっとじっくりと時間をかけて、学生が企業を選ぶべきだ。でもそんなことでは経団連以下たくさんの企業が困ってしまうから、今の仕組みが継続されている。学生が商品という立場から、この仕組みを変えることは難しい。いち社会人にだって無理だ。


従ってこの大きすぎる敵と戦うためには、まず自身が商品であることを自覚し、客である企業からどう品定めされているのかを理解し、就活生の群れの中に身をひそめながら"ここぞ"という機会を伺うべきだ。そしてなにより、このような戦法をとる目的のひとつとして、自分と企業のミスマッチを避けるという側面も大きい。入社は人生において点のイベントに過ぎず、決して線ではない。大切なのはいいカネをもらい続けること、そして自己実現し続けることだ。会社が嫌なら辞めればいいのは当然の権利だが、辞めずにすむ選択の準備が学生時代にできるのであれば、それに越したことはない。

 

 


いかがだっただろうか。このブログも、最近バズった他のエントリのように「かく言う私はGoogleに転職しました」で締められたら最高なんだけどそんなことはない。今はまだ群れの中で息を潜めているところだ。