SHOMONA

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2022年 好きになった曲たち

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2022年の〆のブログ、何書くかなーと悩んだけど、今年「良(よ)〜〜〜」と思ったアーティスト/曲/アルバムを順不同で挙げてくことにした。順位はつけられないのでざっくり時系列で。

 

 

 

 

 

 

1.星街すいせい

 

今年1月、友達とスノボ行く車の中でエンドレスでかかっていたのでハマってしまった。東京から雪山まで行くのって結構遠いからね、一日で相当リピートしたと思う。気付いたら腰まで沼にハマってた。

とにかく声質が好き。この声でアニソンみたいなインディーズ歌われたらひとたまりもない。

その日までvtuberのこと「キズナアイ」しか知らなかったし、この日以降も別に星街すいせいの動画を見てるわけじゃないんだけど、このアルバム"STILL STILL STELLAR"だけはずっと聴いてる。

 

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‎星街すいせいの「Still Still Stellar」をApple Musicで

 

ちなみにそのスノボから帰ってきた翌日にコロナになり、隔離先のホテルでレースゲームしながら無限リピートしていたので余計思い入れが深い。

【コロナ】ホテル宿泊療養 攻略法 - SHOMONA

 

あと俺達の田淵智也が曲提供してて流石だった。俺の好きなアーティストに必ずといっていいほど田淵提供曲があるのなんなんだ。

‎星街すいせいの"灼熱にて純情(wii-wii-woo)"をApple Musicで

 

たくてぃーに on Twitter: "AppleMusicで流れてきた星街すいせいの新曲、なんか田淵っぽいけどまぁさすがに田淵なんてことはないよな、てことは堀江さんの曲だったりしてと思ってクレジット見たら両名いて流石にウケた" / Twitter

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.Shed a light/milet

 

 

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miletさんにハマりました。こんなに歌の上手い人がいるんか?????やばくない?miletって何者?歳は?過去は?本名は?調べてみましたが全部わかりませんでした、いかがでしたか?

出す曲ことごとくタイアップ曲だけどそりゃあそうなるよ、私にそういう権限あったら絶対起用するもの。みんなが待ち望んでた才能。

低音と高音、日本語と英語が完璧。あとこれがとても大事なんだけど、カッコいいサウンドに声が負けないから、楽曲もカッコよくできてる。5月に武道館でライブやるので行きたい。

 

milet「Shed a light」MUSIC VIDEO (ECCジュニア「届け想い篇」 CMソング) - YouTube

‎miletの「visions」をApple Musicで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3.にしな

 

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このMVを見て欲しい。

 

にしな | 1999 - Music Video - YouTube

 

 

今のZ世代の子たちからみて1999年ってこんなに退廃的で古めかしい世界観のイメージなの?これ私たち(平成初期ロット)が70〜80年代に対して抱えてるイメージじゃない?99年って言ったら普通に記憶あるし、当時こんなに朽ち果ててなかったよ????

と衝撃を受けたが、曲をリピートするにつれ、彼女の歌声のなかに潜む説得力のあまり、次第に「もしかしたらこんな感じだったかもしれない…」と引きづられるに至った問題作。

もう少し聴き続けていれば、前後の年はちゃんとクソガキとしてキャッキャしてたのに1999年の記憶だけぽっかり闇落ちしてしまいそうな気配がある。これが「音楽の力」か。

 

 

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今思えばこんな街に住んでた気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

4.ホリー・ハンバーストーン

 

ホリー・ハンバーストーンは、イギリスのシンガーソングライター。ミュージシャン仲間であるルイス・キャパルディのコンサートツアーに出演したことで人気を博した(Wikipedia

とのこと。

 

俗に言うウィスパーボイスっていうのかな、でも優しい感じではなくて、ダウナーな気配を帯びてて、ユニークで非凡な声をしている。

 

 

朝の通勤電車の中って基本感情が「無」なので、頑張りたい日は懐かしいアンセムを聴いて無理やりモチベを盛り上げたり、破壊衝動を際立たせる曲を聴いて発散したりするけど、時折り「無」を「無」のままに、凪のような心のままに都心まで平行移動したいときもあって、そんなときに聴いていた。

 

 

‎ホリー・ハンバーストーンの「Can You Afford To Lose Me?」をApple Musicで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5.花の塔/さユり

 

‎さユりの"花の塔"をApple Musicで

 

 

リコリス・リコイルのエンディングソング。物語の1番熱いところでイントロのリフが流れてウオオとなるやつを何度繰り返したか分からない。サビ前のテュルルル!もいい。あと1サビで起きる転調が2サビでは無いという謎構成も「そんなのもありなんだ」と気付かされた。大学生の頃はアニソンバンドサークルにいたんだけど、久しぶりに「これバンドでやりたい」と思う曲に出会えて良かった。きっとリコリスリコリス自体もなんかけいおんっぽかったからそう思ったんだろうな。

 

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唯と梓じゃねえか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6.チェンソーマン主題歌たち

 

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バズり過ぎてびっくりしたね。インプレッション910万て。日本の人口の7%が目にしたことになるぞ。あなたの同級生の7%だったり職場の7%だったりがこのフェス並みのラインナップの凄さに俺のツイート経由で直面していることになるけど、やっぱりそれだけ皆やべえメンツだと思ったからこその拡散だったのか。

 

 

そんで最近はずっとこれ聴いてた。毎週増えてくのを楽しみだった。

‎Filtrの「チェンソーマン 主題歌集 (Chainsaw Man Theme songs)」をApple Musicで

 

どの曲も系統が似ててすごい。半分くらいが米津玄師の弟子って感じ。いい意味で。個人的には錠剤/TOOBOEとDOGLAND/People 1が好き。彼らは特に米津玄師の直系の弟子たちでしょ(実際どのくらいリスペクトしてるか知らんけど)。ただどちらもこれまで知らないアーティストだったのですごくいい出会いだった、いい出会いをありがとうデンジ。うるさいファンファーレで街を襲え!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7.Party Monster Bop/a flood of circle

 

 

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‎a flood of circleの「Party Monster Bop - Single」をApple Musicで

 

 

仕事が忙しすぎて(あとワールドカップ見過ぎでの睡眠不足もあって)かなりナーバスになってたとき、こんなときフラッドの曲でも聴きてえな、最近なんか新曲出して無いかな、と思ってググったら偶然その前日に出してたのがこれ。まるでa flood of circleに救われる運命に導かれたみたいで嬉しかった。この曲だけひたすら繰り返しながら出勤したらどうにか持ち直したのでお守りみたいな曲。歌詞は刺々しいが、そうでなきゃ守れない時もあるよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

いかがでしたか?

2023年もよろしく。

【コロナ】ホテル宿泊療養 攻略法

年始早々、出張先の会議室で発生したクラスターに巻き込まれ、新型コロナウイルスに感染してしまった。張り切って出向いた約1年ぶりの出張でいきなりえらい目に遭った。

思えば初詣で毎年大吉を用意してくれる近所の神社のおみくじが、今年は「末吉」だった時点で警戒しておくべきだったかもしれない。いっそ凶とか出してあからさまに警告してくれたら1ヶ月くらい引きこもっていただろうに、神様はなにも禁止なんかしてないから大阪行っちゃった、行ってかかっちゃった。

 

不幸中の幸い、症状が軽微ですぐに治ったことと、妻の協力と隔離によって家族達への二次感染を防ぐことができたので、その点は本当によかった。熱は37.5℃まであがったものの、辛さも咳も頭痛も全くなかった。ワクチンを打っておいて本当によかった。ていうか比較していいものか分かんないけど、むしろワクチンの副反応の方が辛かった気がする。

 

 

熱が出た日を0日目とすると、翌1日目に病院で検査を行い、ようやく2日目に陽性が判明した。そうして10日目まで誰とも接触してはならない隔離生活がスタートしたけど、我が家は狭く、感染者と非感染者を完全隔離して生活するのは難しかった。妻や娘にうつしてしまっては大変なので、東京都にお願いしてホテル療養させてもらおうという話になった。

 

本当なら区の保健所からの斡旋をおとなしく待つのだけど、市中感染者が爆増している真っ只中で応対にパンクしている様子を感じ取ったので、こちらから動かざるを得なかった。都の保健所にアクセスして色々調整してもらい受け入れ先のホテルが決まり、ようやく5日目から5泊6日のホテル療養となった。ちなみにこの時点ではもう解熱してて健康体だった。

 

 

 

 

 

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どことは言わないがお世話になった

 

 

 

この記事では、今後コロナ(軽症・無症状)でホテル隔離生活を送る人向けに、実体験に基づいて持っていくべき荷物を挙げていこうと思う。内容の方向性として、医療・治療のような難しい事はその道の専門家に任せるので、今回はいかにホテル生活を快適に送るか?に焦点を当てている。オミクロン株は症状が軽く、隔離期間のほとんどをすこやかな健康状態で過ごす可能性もある。元気な人間を1週間何もない無の空間に閉じ込めておくと狂ってしまうのは明らかなので、なるべく狂わないためのグッズを用意すると良い。ふだんの旅行や出張とは全く違うスタンスで荷物を準備する必要があることをご理解頂きたい。以下、「ホテルに持ちんだもの」「特にいらなかったもの」「ホテルで暮らしてて欲しかったもの」の一覧。

 

 

 

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持ち物のふり返り。個人の感想です

 

 

 

持ちこんだものは、ネットで色々な人の記事を読み漁ってつけた知恵の集大成なので、まあほとんど有用だった。コロコロローラーはかなり使った、ホテルを自分で掃除することとか普段ないからかなり貴重な経験だった。一方で飲料水はたくさんもらえるので重たい思いをしてまで持参するほどではなかった。逆に言えば水とペットボトルのお茶しかもらえないので、あさげの味噌汁だとか紅茶やドリップコーヒーなどは好きなものを持っていくのが良いね。ふりかけも重宝した。

 

ホテル滞在中は、1日3回食事をロビーに取りに行く以外は、部屋から1歩も出られない。食事の時間以外はエレベータも止まっていたし、ホテルの出入り口も封鎖されている。廊下へ出歩いている人を注意する館内放送も流れたくらいには徹底されていた。

 

そんな厳しい環境で少しでも快適に過ごすためには、せめて部屋の中だけでも自分好みにアレンジすると良いと思う。そういう意味で【欲しかったもの】の ①部屋に飾るもの は確実にあった方がいい。好きなアーティストのグッズでもいいし、花でもぬいぐるみでも本でもいいけど、とにかくなるべく早くホテルを自分の部屋にしてしまうためにはそういう装飾が一番手軽で効果的だと思う。サポーターを集めてアウェイをホームにするイメージ。最低限必要な物だけ集めて荷造りしてしまいがちだけど、ふだん自分の生活を豊かにしてくれるものは、弱ってる時にも効果的なはずなのでオススメ。

 

 

② SwitchとHDMIケーブルについて、これは各自の趣味なので強く勧めるわけではないけど、暇を持て余してずっと手元のスマホiPadを見ていたら目がとても疲れたので、ホテルの大きいテレビにつないで遠くから遊ぶ娯楽があったら良さそうだなと思った。(ずっとiPadで雀魂してたわ。)③のホットアイマスクも同じ理由で、スマホの他になにも見るものが無くてマジで目が疲れてしまったので、就寝前に強制的に目を休めるグッズがあるといいかもしれない。

 

 

泊まっていたホテルはアメニティの補充が若干不定期で、紙コップ不足の日が多かった。あっても小さいうがい用のコップだったので、温かい飲み物をぐいぐい飲むには不向きだった。200~300mlくらいの④大きい紙コップが日数×4つくらいあると安心してバカバカ紅茶が飲める。紙コップは実家にお願いして持ってきてもらった。(妻は濃厚接触者扱いのため、差し入れが出来なかった。)偶然にも実家に近いホテルだったので、心配した父親がチャリで色々と届けに来てくれることになった。

 

せっかく来てもらうなら…と思って依頼した食材が⑤レトルトカレー。弁当の淡白な味が続いたので、カレーのような味と匂いの濃い食品に飢えていた。白米にも合うしね。レトルトカレーはホテルのルール的にも食べやすかった。各フロアには弁当を温めるためのレンジがある一方で、差し入れ品には「常温保存可能な物」という制約があった。だから冷食やコンビニのチルドのおかずなどは差し入れNG。「常温で保管できてレンチンで食べられる白米の進むおかず」という縛りの中で悩んでいたところ、最近のレトルトカレーはチンできるフィルムパッケージもあったことを思い出したのでお願いした。ひとたびカレーのことを考え始めたらもうカレー以外食べられなくなって狂い出すかと思った。ちょっと狂ったかもしれない。案の定めちゃくちゃ美味かった。

 

 

 

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喱←フォントがあやしい

 

 

差し入れに関しては結構細かい制約があったけど、チェックイン時の手荷物検査は特にないので、冷蔵のおかずをチンして食べたい人は最初から持参して部屋の冷蔵庫を利用するといいかもしれない。

 

 

 

 

さて、果たして役に立つのかどうか分からないことをダラダラ書いてしまった。というか誰の役にも立たない(感染しない)のが一番なんだけど、現状、オミクロン株は皆にかかりそうな勢いで感染拡大しててやばい。その割には運良く軽症で済めば1週間以上ヒマなので、宿泊の準備をするときは不調の期間と健康な期間の両方をイメージするといいかもしれない。健康なうちから備えておけば、もしもの時に慌てずに済む。皆さまどうかお気をつけて。

電動キックボードで皇居一周したら駅伝の監督になった話

あけましておめでとうございます。

今年もよろしく。


さて新年だ。なぜかわからないけど、正月明けというのは、新しいことを始めたりノリで何かにトライするにはうってつけの日取りだ。

2022年1月4日、昼食後にふと思い立ってYogiboから身を起こし、着替えながら「LUUP 乗れる場所」で検索した。なんか久しぶりにワクワクしていた。三が日に散々飲み食いしたおかげでエネルギーは満タンだ。窓の外は冬の東京らしい青一色の晴天だった。いくぜ!

 

 

目次

 

  • LUUPとは
  • 乗り方
  • 乗ってみた
  • 所感

 

 

LUUPとは

 

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LUUPとは、電動キックボードのシェアリングサービスのことで、2021年4月に渋谷でスタートした新しい移動体験だ。キックボードはというのはあのキックボードのことで、小学生が公園や友達の家に行くときに乗っているアレ。アレを大きくしてバッテリー積んでナンバープレートを付けた乗り物。電動、つまりバッテリーとモータで動くので、足で漕がなくていい。漕がなくていいって最高だね。地元が坂だらけだったので余計にありがたみが強い。「ぼくのかんがえたさいきょうののりもの」って感じ。実現してくれてありがとう。

 

そんな電動キックボード、現在の展開エリアをざっくり表すと、神保町から銀座までの丸の内周辺エリア、高田馬場から渋谷までの新宿周辺エリア、渋谷発の私鉄・メトロ沿線沿い(だいたい環七くらいまで)、それと港区全域と品川駅周辺って感じ。東京以外だと横浜・京都・大阪の中心地でも乗ることができるっぽい。これ京都観光とかにいいんじゃないでしょうか。

 

 

 

乗り方

アプリにクレカと免許証を登録すれば(走行中は原付扱いのため免許証が必要)、あとは案内に従って操作するだけでOK。アプリ上の地図からポート設置場所を選び、そこに向かう。ポートに泊まっている台数や1台ごとの充電状況は現地に行かずともアプリで分かるようになっているので、複数のポートを歩いて探し回る必要はない。あとポートが空いてさえいれば、乗った場所に関係なくどこで降りてもOK。

ポートについたらキックボードのハンドルについているQRコードをアプリで読み取って解錠。ちなみに乗るときや返すときだけでなく一時停車する際もすべてアプリからの操作となるので、十分にスマホを充電してから行くのがオススメ。

操作方法も簡単で、自転車と同じ形のブレーキと、自転車のベルのようなアクセルスイッチ。親指で押し込んでいる間だけ進む。バイクよりずっと簡単。まあバイク乗ったことないけど。

 

 

 

乗ってみた

 

今回初めて電動キックボードに乗るけど、特に明確な行き先があるわけではなく、乗って走ることが目的だった。さてどこへ行こう。神保町のポートへ向かいながら利用案内と走り方を読んでいると、気になる一文が。このキックボード、原付扱いにもかかわらず「二段階右折」が「禁止」だった。ちょっと待ってよ。
流石にあのヒョロヒョロのキックボードで右折車線に飛び込む勇気は無い。いくらなんでも怖すぎる。できるだけ右折せずに乗りたかったので、皇居を反時計回りで一周することにした。私の頭脳が導き出した計算によれば理論上は直進と左折だけで戻ってこれるはずだ。Let's Go!

 

走ってみた感覚として、そのスピード感に慣れるまでは「かなり遅い」。アクセルを押し続けてもMax15km/hしか出ないので、車はおろか急いでる自転車よりも遅い。歩道を走ることができないから、どうしてもスピードの比較対象は車になる。もっと早かったらいいのにと思ったけど、きっと安全面でこの速度になっているんだろう。そんな感じで走り出した。

 

これはそういう乗り物なのだと慣れてくると、今度はこの今までなかなか味わったことのない移動速度が癖になる。親指1本で時速15km、それは誰も経験したことのないモビリティ。モビリティというより遊園地のゴーカートやメリーゴーランドに近いかもしれない。低速度のおかげで多少は左右の景観も味わうことができる。お堀の石垣が、ゆっくり後ろに流れていく。

 

 

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信号待ち。この日唯一の右折車線(本線は首都高に)

 

 

神保町から一ツ橋、竹橋を過ぎて千鳥ヶ淵まで進むと、いわゆる皇居ランナーの姿が増えてきた。半蔵門のあたりで完全に気付いたのだが、高齢の皇居ランナーはそんなに速くないため、歩道を駆ける後ろ姿を車道からゆっくりとすれ違い、少し並走したのちに追い越すことになる。これってあれじゃない?昨日箱根駅伝で見たよ、選手に近づいてレース状況を伝え激励する監督の移動車。もう気分はすっかり監督。なんか楽しい。LUUPに乗って皇居ランナーひとりひとりを応援する仕事でお金を貰おうかな。

 

日比谷の手前で曲がり、皇居外苑へ。丸の内と東京駅を横目に、大手門から再び竹橋へ。スマホが充電不足で再起動したためポート場所が分からず迷ったりもしたが、なんとか無事にゴールにたどり着いた。ポートに停め、証拠写真を撮って送信すると自動でロックがかかり、返却完了。シンプルでとても良い仕組みだね。

 

 

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遠くに東京駅が見える

 

 

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今回利用したポート。借りる時は4台停まってたが、返却時は1台もなかった

 

 

信号で止まったり写真を撮ったりしていたので、スタート地点と同じポートに戻ってくるまで約50分もかかった。アプリの記録に残っている移動距離から計算すると、単純な平均時速は約8km。細かく止まっていたとはいえ軽いジョギングくらいのペースなので、決して素早い移動手段ではなさそう。でも今回は満足。初めての皇居一周をゆっくり楽しめたので。

 


所感

 

毎日の通勤や通学の手段に使えるか?というと距離と交通状況次第だけど、移動そのものが目的となるケース(観光、街歩き、体験など)ではかなり面白い乗り物だと思う。あとは安全面ね。ヘルメット着用を特例で免除されている以上、事故が変にフィーチャーされると普及やルールに影響しそうなので、みんな安全に乗ってほしい。あと、左折しかしたくないという下心で皇居外周を走ったけど、よく見るとこのエリアっていたるところに警官が配置されているので自動車側もかなり安全運転だった気がする。自動車が少ない道やスピードを出しにくいエリアを選んで楽しむのが良いんじゃないかな。

 


イカ―じゃなくて公共交通機関を使おうぜ、という動きの中で、じゃあ最寄り駅から自宅、あるいは駅から目的地のラストワンマイルの移動手段をどうするか?ってのをいろんな大企業やベンチャーがMaaS(Mobility as a Service)という概念の中で考えている。その有象無象のMaaSの中でLUUPは実証実験を東京のど真ん中で、しかも色々な法律的な特例を勝ち取って進めているのでかなりかっこいいと思う。自動車目線で見たらものすごく邪魔だけど(正直、自分がドライバーならかなりイライラするはず…)、それでも暮らしの中に新しい選択肢・新しい価値観を提供しているので応援したい。未来にワクワクしていこう。

 

 

読み返してみると乱文・長文でLUUPのようにスマートには進まないけど、体験レポは以上なので気になった人は是非乗ってほしい。

忘れられない年

年の瀬といえば普通はもっとその年を名残惜しく感じているような気がするけど、今年ばかりは大げさに振り返ったりすることなく、平穏無事であることを最善の妥協点として暮らしている、ような気がしている。

 


自分といえば、今年は色々な事を考えた。
自分自身で納得して、主体的にこの生活をこなしていくために…

 


常に頭に合ったのは、6月に生まれた娘の子育てとコロナ対策の両立。基本的に、この二つに対して求められる行動は一緒だ。すなわちステイホーム。夜に飲み歩いたり休日に遊びに行ったりしないことが、たとえコロナ禍でなくたって夫に求められていることだし、それは一応理解している。

 


理解しているからこそ、今のこの理想に近い暮らしを、果たして私は平時でも実践できただろうか?と内省的に考えてしまう。もし妻の出産が1年前だったとしても、私は、家庭を無事に運営できていただろうか?まさかコロナに救われていないだろうか?飲み会も残業も中国出張もゴルフ接待もないこの世界を、心のどこかで有り難がっていないだろうか?有り難がってしまうことを、不謹慎ではないと言い切れるだろうか?疑念はいつまでも払拭されない。そういったことをずっと考えている年だった。

 


一方で、コロナ禍は来年以降もしばらく続くだろうし、育児こそ今後ずっと続くので、この生活はそう終わらないはずだ。だからきっと今年考えた事や感じた事の延長線上に2021年があり、2022年がある。もしかしたら、何もかもが真新しくユニークなのは今年だけかもしれない。来年以降はいまの思考や感情をベースに行動し、やがてそれが日常となっていく。日常となった果てには、もはや考えることすらしなくなるかもしれない。というかそういう思考停止状態こそが日常だろう。

 


多くの人命と、もっと多くの経済的な犠牲の上で、かりそめの日常が「ニューノーマル」と呼ばれていく。物理面・精神面でウチとソトを二分化してしまうニューノーマル世界において、家庭内がハッピーである限り、外界の色々な出来事と記憶は都合よく忘れ去られるだろうけど、果たして本当にそれで良いのだろうか?煉獄さんや煉獄さんの母上殿は許すだろうか?

 


様々な記憶…もはや遥か遠い昔の事件となってしまったダイヤモンドプリンセス号のころ、GWの自粛期間、2ヶ月間の育休期間、第二波・第三波と呼ばれる感染拡大シーン…それぞれの環境の中で感じた事や悩んだ事を、しばらく忘れないようにしたい。娘の成長という幸福な記憶と共に、常にそれと背中合わせだった2020年の暗い部分にも目を背けず、できる限り覚えておきたい。さいわいにも今年は忘年会をしていないから、きっと忘れずにいられるはずだ。

第一子が爆誕した件

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6月1日に娘が産まれた。

と思ったら、ほんの一瞬で1ヶ月が経った。


赤ちゃんを「新生児」と呼べるのは生後4週までで、毎日をアワアワ慌ただしく過ごしていたらもう新生児期が終了してしまった。何事もお試し期間は短い。これからは乳児とのこと。

とはいえバタバタ過ごしているなりにも少しずつこの生活に慣れてきたので、ここまでのジェットコースターのような、あるいは巨大迷宮のような日々を振り返ってみる。

じっくり振り返った結果、かなり長々と書いてしまったので、ムダでヒマなWeb会議に参加しているときなど手持無沙汰な瞬間にこの記事を思い出して読んでもらえたら幸いである。

 

 

 

目次
 

妊娠期間
covid-19の影響
在宅勤務と育児休暇
娘との生活
 

 

 

 

1. 妊娠期間
 


妻の妊娠が判明してから、2人の最初にして最大の山場は11月だった。私は人生で初めて救急車に乗った。

 

妻が「やばいやばい、苦しい、死ぬ」とただならぬ剣幕で私を起こしてきたのは深夜の二時半。妊娠初期で免疫機能がガタガタになっていたせいか、身体に激痛を感じていた。


詳しい病状については割愛するとして、これまでの人生で119番通報する機会がなかったため、なによりコール後の勝手が分からなくてひどく焦った。

特に「救急隊員って意外と家に居座るんだな」という驚きがあった。通報後爆速でやってきた割には、どこか余裕のある表情で妻の様子を伺っている。

「さあ!行こうか!」とロストマンさながら玄関へ促すも、いつまでもいつまでもリビングで問診みたいなことをしている。えっこれ、粗茶でも出した方がいいすか?

 

問診の結果、まあ大事には至らなさそうだということがなんとなく分かったものの、痛みは続くので、そのまま夫婦で救急車に乗り、病院へ向かった。
初めて乗る救急車の中には見たこともないアイテムが所狭しと並んでおり、もし妻(看護師)が元気だったら「あれなに?」「これなに?」と聞けるのだが、妻と言えばいまはめちゃくちゃそれどころじゃない刻苦の表情を浮かべているので、こちらとしても神妙な顔で黙っている他なかった。

 

結局、点滴を打って、明朝の日の出とともに帰宅した。慢性的な苦痛はその後も続き、そしてゆっくりと消えていったようだった。
一時はどうなることかと思ったが、結果的に、母子ともに後遺症無く済んで本当によかった。

 

 

 

もうひとつの変化としては、19年8月に私の部署異動があった。


これまでの部署では、関西方面にて出張ベースで打合せする機会が非常に多く、月一で中国にも通っていた。

特に一度中国へ行くと、中身の割に長々と4泊程度は拘束され、月曜の早朝に家を出て金曜の深夜に帰ってくることも多かった。

仕事自体は楽しいし、これを貴重な人生経験として考えれば全然悪くない出張だけど、身重の妻に1週間の留守番をさせずに済んだのは、偶然の部署異動のおかげだった。

 

新しい部署では都心に本社を構える材料メーカー相手の仕事がメインになったので、中国どころか泊りがけの出張もほぼ無し。

これによって、なんと、毎日帰宅することができるようになり、不在による不安を多少は減らせたんじゃないかと思う。私たちはいることよりいないことが原因で喧嘩する方が多かったから、これは良い変化だっだ。


少し経って妻は夜勤をやめた。これにて同棲開始から2年半、入籍から1年経ち、ようやくはじめて毎日一緒に暮らす日々が始まった。

一緒に過ごすということは、当然だけどこれまで以上に家で飯を食うので、実家にあるようなドデカ冷蔵庫も買った。以後2人は安心してモリモリ食っている。

 

 

 

2. covid-19の影響
 


「いつツイッターで妊娠報告するのか?」というテーマは、二人にとって意外と重大だった。2人ともツイッター村に住んでいるようなものなので、村民への報連相は欠かせない。

妻は「産まれました!」と産後にネタバレするのが理想とのことだったので、それに従った。
ごく一部の友人にだけこっそり伝え、あとは出産当日まで誰にも何も言わないようにしようと決めた。

 

この無謀な企みが完走できてしまったのは、covid-19の影響が多少なりともあったように思う。あのウイルスを恨みこそすれ、感謝することなど微塵も無いのだけど、ことこの秘密に関してはこんな世の中であるがゆえに隠し通せたようなものだ。


平時であれば毎月のようにフォロワーを自宅に招待してホームパーティ気分を楽しんでいたけど、ダイヤモンドプリンセス号の来航以来まったくそんな雰囲気ではなくなってしまった。

私達は、出産までのラスト3か月間をほとんど人と会うことなく過ごした。「屋外ならよくね?」と、こっそり4月に私の誕生日BBQ会を企画してくれていたものの、日々悪化する情勢のなか、結局は見送るしかなかった。


記憶というのは、時にとても杜撰だ。2月に何を考えていたのか、3月にコロナウイルスをどう捉えていたのか、私はよく思い出せない。

周囲より警戒していたような気がするし、逆に対岸の火事のように捉えていた気もする。どうしても今現在の認識に引っ張られてしまう。

 

結局、我が国はイタリアやアメリカのようにはならなかったが、一方かれらと同等以上にひどい事態になった国もある。すべては結果論である。よって純粋な記憶も"結果論"のバイアスに侵される。よく言えば価値観のアップデート、悪く言えば「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」とも。


過去を正しく認識していないと正しく反省することができないので、そういう思いも込めてあえて現状を書き記すと、6月末時点の東京では再び少しずつ感染者がゆるやかに増加しているが、行政の判断は「第二波ではない」だそうだ。

3月時点と検査対象の母集団が異なるのであれば、発表の通りだと思うけれど、目先の都知事選挙を見据えた中での大本営発表はおいそれと信じられない。

 

ただまあ、こればかりはやはり、未来の自分に"結果論"で判断してもらうほかなく、これからもなるべく感染リスクを抑えた暮らしを心がけるしかない。

 


話は反れたが、ともかくこのリスクを抑えるため、出産を控えた夫婦においても、夫の病院への出入りや立ち合い出産は固く禁止された。

 

かくなる上は病院の外からドローンを飛ばして窓から侵入し、動画の生中継によってリモートで出産に立ち会う方法や、Amazonで購入したマネキンに夫の服を着せて分娩室に持ち込む方法などが、同じく妊婦の妻を持つ旦那同士で積極的に議論されたが、結局はおとなしく病院の指示に従うことにした。


出産という、一番大変な時に妻のそばにいてあげられなかったのが悔やまれるけれど、こればかりは本当に仕方なかった。

 

 

 

3. 勤務と育児休暇
 


3月中旬、ウイルスの感染拡大を受け、勤務先でも在宅勤務が始まった。

その1か月後には妻の産休も開始したので、ついに24時間一緒にいる生活が始まった。

 

家の中で仕事をするのは当初ひどくこっ恥ずかしかったけれど、そんなことを言っている余裕もなく仕事を回さねばならないので、やむを得ず頑張った。

「営業職はアクターでなければならない」と先輩から教わって以来、いつの間にか「営業中の自分」という役回りが板についてきたけれども、それは好きな人に率先して見せたい一面では決してないので、こういう葛藤が付きまとった。

 

とはいえ、感染リスクと天秤にかければ背に腹は代えられないので、3月以降は本気で家に引きこもって仕事をした。

出産後、引きこもりの延長で育児休暇も取得した。今まさに育児休暇中だ。この文章も無給の状態で書いている。さぞ無給らしい軽やかな文章だと思いませんか?私は思わないが…

 

 

育児休暇そのものは、今年1月時点で相談した。まだcovid-19の被害がこの国にやってくる前の段階だったが、快諾された。小さい会社ゆえ、男性が取得するのは初めてらしい。


相談相手の上長は、還暦を過ぎたTHE昭和な営業部長なのだけど、彼が恐ろしいくらい物分かりがよくて、私は肩透かしを食らった。

もし断られたら総務に直談判(「就活生に対して『当社は男性も育休を取っている』と言えたら会社にもメリットありませんか?」みたいな話)をするつもりだったが、杞憂に終わった。この点については本当に感謝しかない。復帰したら一生懸命(当社比)働こうと思ってる。

 


私の育児休暇の期間は2ヶ月弱と、女性に比べたら短いので、仕事をまるっきり全て同僚に引き継くことはしなかった。特に社外に対しては、親しい相手にしか伝えてない。大手メーカーの営業達はみなまだ在宅勤務しているので、家にいようとオンラインで打合せが済んでしまう。これ本当に便利。

日によっては在宅勤務とほとんど変わらない多忙な時もあるけれど、ごく稀なので、妻の協力によってまだ両立できている。

まあ無給なので、本当は何もしなくたっていいのだけれど、それはつまらない人の思考だなあと思うので無理のない範囲で参加している。

 

肝心の家庭内の仕事としては、家事全般と買い物、それと夜間帯のミルクのワンポイント登板をやっている。

なるべく妻にはたくさん寝てもらいたいから深夜のミルク当番を買ってでてるのだけど、産後の母にはアドレナリンみたいな物質が出ているらしく、そんなに寝なくても済むらしい。本当か?

 

一方俺はといえば当然ホルモンバランスなど産前から何一つ変わっていないので、これまで通り眠たいし、ぐっすりたくさん寝てしまうし、一度寝ると朝まで起きない。娘が泣いても起きないし、地震が来ても起きない。なんだか申し訳なくなるけど、起きないのだから仕方ない。その分起きてるときに頑張ろうと思う。

 

弊社は古き良き(?)日本企業なので余程の事がない限りクビにはならないけど、こと家においては油断すると「きさん(北九州の方言で貴様のこと)は家にいなくていいから早く会社行って稼いでこい」という内容の育休自主解消宣告を受けそうなので、家庭の平和のみならず己の衣食住の確保のためにも尽力するのであった。

 

 

 

4. 娘との生活
 

 

さて、こうして妻と娘と猫と暮らす生活がスタートした。

赤ちゃんはめんこい。ちゃんと調べた事はないけど、"めんこい"というのは東北の方言だと思っている。個人的なイメージとしては、縁側で日光浴しているおばあちゃんが膝に座ってる孫に向かって言う「かわいい」が「めんこい」だ。

容姿とか表情にとどまらない、存在そのものを褒める形容詞だと思う。赤ちゃんはめんこい。

 

娘を抱いていると、まずその小さな生命を両腕に預かっていることの重圧を感じる。そしてその責任があるからこその愛おしさがある。親になるってこういうことなんだな。感無量だな。早く『わたしパパとけっこんする!』って言われてえな。できれば『パパ、くさい!』って言われる前にクリアしておきたいな。今から一生懸命に脇や足を洗っている。

 

 

 

ただ正直、いくら育休をとっているとはいえ、夫が主体的に新生児と取れるコミュニケーションはほとんど無かった。今できることといえば、ミルクをあげる、げっぷを出させる、寝かしつけるなど、生存にまつわる本質的な事だけ。まあみんなそうなのかもしれないが…

特にこの6月は妻のサポートに徹することしか出来なかったけれど、大きくなるにつれて私にも出来ることが増えるだろうから、それを信じてサボらずになるべく関与し続けていきたい。がんばるぞ。

 

 

 

最後に、家族や友達が娘に可愛いプレゼントを選んで送ってくれたのが本当に嬉しかった。なかなかゆっくり買い物に出かけることができないので、皆の気立てとセンスにうちの家族たちは生かされてます。どうもありがとう。

 

そして、ただ思ってる事をむやみやたらに書き連ねただけの駄文をここまで読んでくれて本当にありがとう。友達から「喋りたい欲の塊」と評された私のこの喋りたさを活字に乗せてお届けするシリーズ、また喋りたいことが溜まったらダラダラと書いてみるのでその時はひとつどうぞ宜しく。

 

1年前の日記 最終日

このイタリア旅行記も今回が最後。7日間なんとか無事に完走できてよかった。毎日コツコツが苦手なのによく頑張ったし偉いと思うし、飽きもせず読んでくれてる人はもっと偉い。本当にありがとう。また思いつきで何か書き始めたときはよろしくね。

 

 

 

 

<ここまでの記事を貼るのも最後>

1年前の日記 1日目 - SHOMONA  到着編

1年前の日記 2日目 - SHOMONA  ローマ編

1年前の日記 3日目 - SHOMONA フィレンツェ

1年前の日記 4日目 - SHOMONA フィレンツェ

1年前の日記 5日目 - SHOMONA ミラノ編

1年前の日記 6日目 - SHOMONA ミラノ編

 

 

 

 

 

4月22日 ミラノ くもり

 

 

 


寝る前に飲んだビールのせいか、あまり寝起きが良くない。

最終日という事もあって疲れもピークに達しているはずだが、今日これから起きる奇跡を知っていたら、きっと気分も違っていただろうに。

 

 

 

さて、2人は旅行最後の大イベント「お土産の買い出し 対エッセンルガ戦 リベンジマッチ」の為、決戦の地エッセンルガまで歩く。

出かける前に財布の中の残金を確認したところ125ユーロ弱(約1.5万円)あったので、一応これを買い出しの予算として、足りなかったらカードで支払うけどまあ余裕っしょ、ということになった。

 

 

 

その戦いは、難行を極めた。お土産の目玉商品と決めたワインだが、どんなワインを買ったらいいのか全く分からないのだ。

ラベルの文字が読めない事はもとより、たとえ読めたとて素人には意味が分からず、味が想像できない。

棚に並んだワインの総数は、おそらく500本以上あったように思う。この中から免税の範囲で買える6本を選んでいく。

付け焼き刃の知識をどうにか検索で得ながら、ひとまず5本をチョイス。慌ててパスタやパスタソースを探す。

予算の話などすっかり忘れ、(空港へ向かうバスに乗る)タイムリミットのみを意識してバタバタとレジに向かう。そして40点ほどをレジに通したところ、なんと合計122ユーロ。超ギリギリ予算内。余ったのはわずか3ユーロ。奇跡が起きたかと思った。

 

 

 

悲しいかな帰りのメトロ代すらなくなったので、重たい荷物を両手に抱えて2駅分歩き、ホテルで荷作りし、チェックアウト。バスに乗ってミラノ空港へ。

 

 

 

空港で再び奇跡が起きる。預けられる荷物の重量は1人あたり23 kgだったのだが、なんとゆるいのキャリーがこれを超過。

重量オーバー時に発生する追加料金の100ユーロが頭をよぎる中、窓口の指示で俺のキャリーも乗せ、合わせて計測したところ、45.5kg。

2人合計で46 kg以下だったため、おとがめ無し。たった500gの差で100ユーロ浮く。

有頂天になった2人は浮いた100ユーロを予算に免税店で6本目の「ちょっとお高いワイン」を購入。2人にはこうやって使っちゃう癖がある。帰ったらちゃんと貯金しよう…

 

 

 

 

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思わず撮っちゃった

 

 

 

 


この日のために入手したプライオリティパスを使ってお邪魔したラウンジでイタリア最後の食事を終えると、ハネムーンを満喫した2人を乗せたエアバス330は、曇天のロンバルディアの空へ飛び立った。

 

 

 

 

 

 

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イタリア最後の食事はワイン飲み放題

 

 

 

旅程を組み、レストランを調べ、旅行アイテムを買い揃える作業をほとんどゆるいに任せてしまっていたので、自分としては現地で歴史をガイドしたり、つたない英語でコミュケーションをとることを頑張った。思い返せばこれらもアドリブが多かったので、せっかくならもっと事前に勉強していけば良かったとも思う一方、等身大の自分達でも充分楽しめるという手応えを感じることが出来た。

 


これからも飾らない2人で、色々な場所へ旅をして、楽しく過ごしていきたい。

 

 

おわり

1年前の日記 6日目

どうぶつの森をしたり深夜徘徊をしたりしていたらギリギリになってしまった、慌てて更新。

日記も残すところあと2日。

 

 

 

<ここまでの記事を貼る作業に慣れてきた>

1年前の日記 1日目 - SHOMONA

1年前の日記 2日目 - SHOMONA

1年前の日記 3日目 - SHOMONA

1年前の日記 4日目 - SHOMONA

1年前の日記 5日目 - SHOMONA

 

 

 

 

4月21日 ミラノ 晴れ

 

 

 

しかしずーっと晴れてるな!本当に嬉しい。日頃どころか、向こう10年分の行いの良さを前借りしてしまったようだ。引き続き品行方正に生きることをローマカトリックの神様に誓います。ありがとうございます。

さて今日は、その神様の復活祭ことイースターの日曜で、ほとんどの店が休み。ホテルのディナーレストランも閉まっていた。

 

 

 

 

のんびりとホテルを出て、昨日買ったメトロ1日券でドゥオーモへ。地上へ上がるとすぐドゥオーモ。よくこんな歴史的建造物の真下に穴を掘ったな。

 

ミラノのドゥオーモはヨーロッパ最大級の大聖堂で、13世紀に作り始めてナポレオンが完成させたとか。日本で言えば鎌倉の大仏に西郷隆盛がバカデカい屋根を付けたみたいな。違うな。違かったから忘れてくれ。

 

 

 

 

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これ!!

 

 

 

 

ともかくその大規模なドゥオーモ、何がすごいって写真におさまらない。外観を撮っても中から天井を撮っても、上手に切り取ることが難しいくらい大きい。肉眼で目に焼き付けるべし。

 


隣接するヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世(世界史に出てきたな)のガレリアも含めて、とにかく見るものを圧倒させる存在感があった。というかどうやって作ったんだよ、想像もつかない…

ピラミッドはほら、図面さえ書けばあとは脳筋でも積み上げられそうじゃん。でもこのドゥオーモの細部まで拘った装飾、天井まで届くステンドグラスの中の色づかい、パイプオルガンにごっついリバーブをかける空間の音響などは、技術者・職人が少しずつ手作業で作り上げないと上手くいかない芸術品の巨大な集合体なのである。

全ては神への信仰心と莫大な予算のたまものだ。心ゆくまで堪能した。

 

 

 

 

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デカすぎてどう撮っていいか分からない

 

 

 


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厳かにイースターのミサが執り行われていた

 

 

 

 

この日のメインイベントを終えたので、あとは流し。スポンティーニでミラノ風ピッツァを食べ、開いている店でショッピングした。とにかくディアドラorロットの服が欲しかったので、Foot Lockerという店で購入。ゆるいはインテルショップでクマのキーホルダーを買った。インテルってクマがマスコットだったか…?

 

 

 

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スポンティーニは原宿にもある

 

 

 


最後にエッセンルガというイタリアのイオンでお土産を買えば完了!だったのだが、イースターで店休日に。出鼻をくじかれる。かろうじて開いてたお菓子屋で缶入りのビスケット(チョコだっけ?)を買い、これを職場でバラマくことにした。

 

 

 


ホテルでひと休みしたあと、フロントで教わったレストランへ。イタリアでの最後の晩餐だ。

 

ミラノ風カツレツ(レコードくらい大きい)とラザニア(宝石箱くらい大きい)をたらふく食べ、大いに語らった。

これからの2人の事、将来の話、旅の思い出…周りに伝わらないのを良い事に好きなだけ話し合った。

 

よく喋ったという達成感と、千切れそうな満腹感を携え、ホテルへ戻った。

 

最終日に続く→

1年前の日記 最終日 - SHOMONA